国連総会、パレスチナ分割案を採択
1947/11/29
こんなので大丈夫? 誰が見てもユダヤびいきのパレスチナ分割案を国連総会が採択。
    
1947/05/15   国連・パレスチナ調査委員会成立
1947/11/29   国連総会、パレスチナ分割案を採択
1947/12/17   アラブ連盟、パレスチナ分割を武力で阻止すると声明
1948/05/14   イスラエル、建国宣言 (テルアビブ)
1948/05/16   米ソ、イスラエルを承認
1948/05/16   中東戦争@勃発 (アラブ諸国、イスラエル攻撃開始)
1949/02/24   イスラエル・エジプト、休戦協定調印
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用さて1945年に戦争は終わりました。 するとイギリスは、「パレスチナ問題に関する解決能力はなし」と自ら認めて、ゲタを国際連合に預けてしまうのです。 1947年、その国連はパレスチナ分割案を提示します。 その分割案を見たときに、みんなはびっくりしました。 それは、明らかにユダヤの側に有利なものだったからです。 すなわちユダヤ人にあてられた場所は、水資源があって農耕などに向いている場所だったのに対し、 長年このへんに住んできたパレスチナ人には、ほとんど砂漠に近い領域しか認められなかったのでした。 国際連合はユダヤ人の肩を持っちゃったんですね。
そしてそこにはアメリカの強烈な後押しがあったのです。 とくに大統領トルーマンの意図が強く働いていました。
マスコミの連中がトルーマンに聞きました。 「なんであなたはそんなにユダヤの肩ばかり持つんですか?」。トルーマンはこともなげにこう言ったそうです。
「だって君、アラブの肩を持ったって、票にはならんだろうが」。
そうですね、これは1947年の話。 翌年の1948年には大統領選挙が待っています。 選挙に勝つためには何が必要か。 いろいろありますけれども、絶対になくてはならないのが、アメリカに住んでいるユダヤ系アメリカ人の支持なのです。 当時のアメリカには、約600万人のユダヤ系アメリカ人がいました。 人口比でいうと3%未満のマイノリティーに過ぎないのですが、このユダヤ系アメリカ人には、 政界・財界・マスコミ、あるいは学界で活躍している人たちがたくさんいました。
引用一九四七年一一月、国連総会において、パレスチナを「ユダヤ人国家」と「アラブ人国家」に分けてそれぞれ独立させる、 パレスチナ分割決議案が可決された。 この決議案は、当時パレスチナの土地の六パーセントしか所有していなかったユダヤ人に国土の五六パーセントを与えるものであったが、 シオニストはこれにも満足せず、四八年五月イギリスの委任統治が終わると同時に、 国境を明示しないままイスラエル国家の樹立を宣言した。 周辺のアラブ諸国はこれに抗議してただちに攻撃を始めたが、この第一次中東戦争でイスラエルは定められた「ユダヤ人国家」の 一・五倍の面積をもつ領域を占領し、勝利をおさめ、現地住民からの組織的な土地の収奪をただちに始めた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。