幣原喜重郎ら、民主党脱党 (同志クラブ結成)
1947/11/29
だから言っただろ、社会党と組んじゃだめだって。 幣原グループ、連立与党と民主党から離脱。
    
1947/04/20   参議院選挙[1] (社会47、自由39、民主29、国協10、共産4、他121)
1947/04/25   総選挙[23] (社会143、自由131、民主124、国協31)
1947/05/20   吉田内閣@総辞職
1947/05/28   自由党、連立から離脱
1947/06/01   片山内閣成立 (首相:片山哲/官房長官:西尾末広
1947/11/04   片山首相、平野農相を解任
1947/11/20   衆議院本会議、炭坑国家管理法案をめぐり大混乱 (〜11/22)
1947/11/29   幣原喜重郎ら、民主党脱党 (同志クラブ結成)
1947/12/20   臨時石炭鉱業管理法公布
1948/02/10   片山内閣総辞職
1948/03/10   芦田内閣成立 (首相:芦田均/国務相:西尾末広
1948/03/15   民主自由党結成 (自由党に同志クラブが合流/総裁:吉田茂
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用自由党の炭鉱国管反対に呼応したのが、民主党の幣原派であった。 混乱の末に炭鉱国管法案は十月二十五日、委員会で否決され、本会議で可決されるという、新憲法下はじめての例外的な形で、衆議院を通過した。
だが、このとき、民主党の保守派である幣原喜重郎たち二十二名は、反対の青票を投じた。 芦田派たち主流派幹部は、十月二十八日には佐々木英世、原健三郎たち七名を除名処分に付し、 残る十五名に離党を勧告した。 このうち幣原をはじめ十五名が脱党したのは、十月二十九日であった。 そのなかに田中角栄、根本竜太郎たちがまじっていた。 先の除名者と脱党者とは、同志クラブ(のち民主クラブ)をただちに結成した。 これらはやがて吉田自由党に入党することになる。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。