アメリカ陸軍省、ドレーパー調査団報告を発表
1948/05/18
アメリカ、占領政策を180度転換。 日本経済の弱体化から日本の産業復興へ。
    
1947/03/12   トルーマン・ドクトリン
1947/06/05   マーシャル・プラン(ヨーロッパ復興計画)発表
1948/03/20   ドレーパー調査団来日
1948/05/18   アメリカ陸軍省、ドレーパー調査団報告を発表
1948/09/11   GHQ集中排除審査委員会、集排法実施4原則を提示 (適用大幅緩和)
1948/12/09   アメリカ政府、FEC230号(日本の過度経済力集中排除計画)を撤回
1948/12/18   GHQ、経済安定9原則を発表
1949/03/07   ドッジ、経済安定9原則実施について声明 (ドッジライン)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク 中国が赤く染まろうとする冷戦下、ウイリアム・ドレーパーJr.陸軍次官は、 アメリカの世界戦略の一環として、それまでの対日占領政策を大きく転換し、 経済大国にすることで、日本を共産主義に対するアジアの防壁にしようと考え、これを実行した。 アメリカ議会を説得したのも、日本再建のための予算を獲得したのも、 腕利きの経済再生屋ジョセフ・ドッジを口説いて日本に送り込んだのも彼である。 ドレーパーの戦略は当たり、日本は「奇跡の復興」を遂げ、高度経済成長を実現し、一時はアメリカ経済を脅かすほどになり、 みごとに共産主義に対する防壁の役割を果たした。 という歴史的事実を、いつの日か日本人が正当に評価する日がくるといいな、と日本のために思うtaroです。 せめてドレーパーの名前ぐらい知っときましょうよ。ね、みなさん。 え、うざい? はーい、退散しまーす。
引用一九四八年(昭23)三月に来日した、ドレーパー米陸軍次官、 ジョンストン元ニューヨーク・ケミカル・バンク会長などをメンバーとする使節団で、 日本経済の実情を視察して対日占領政策を方向転換させる報告書をまとめた。 同年五月の報告書では、日本の産業復興を最大の占領目的として位置づけ、 貿易拡大・賠償削減・財閥解体の緩和などを提唱した。 またインフレを収束させるため均衡財政確立を求め、公務員削減や補助金打切りを主張した。
これらの方針は、非軍国主義化のため日本経済の弱体化をめざした初期の占領政策や、 GHQのニュー・ディーラーが進めた意欲的な経済政策の修正を迫るものであり、 冷戦に対応して日本を反共の拠点とする政策への転換を示していた。 また、これに消極的なGHQに対し、アメリカ政府が強く政策転換を迫る方針表明でもあった。 その内容は同年末の経済安定九原則に集約され、翌年のドッジ・ラインで具体化されることになった。
引用一九四七、四八年に起こったアメリカの対日占領政策転換の中心人物は、最も直接的に占領に責任をもつ部局にいた ウィリアム・H・ドレーパーJr.陸軍次官であった。
【中略】
ヨーロッパでのマーシャル・プランに相当する対日経済復興四ヵ年計画を提示したことは、ドレーパーのすぐれた貢献であった。 国務省や総司令部の中心人物の猛烈な反対を乗り越えて、当初の非軍事化・民主化政策の転換を確実にする条件が、 この計画にはつけ加えられていた。 日本の資本家階級と保守政治家を完全に復活させて初めて、日本でもアジアの他の地域でも、 ナショナリズムと共産主義の脅威に対抗してアメリカの利益(主としてアメリカ企業の利益)を保証できるとドレーパーは考えたのである。
【中略】
対日援助計画の資金をめぐって連邦議会との新たな闘いに直面したドレーパーは、 デトロイト銀行頭取ジョセフ・M・ドッジを説得し日本に赴かせた。 ドッジは、おそらくトルーマン政権のもとで最も重要な海外経済問題の解決者である。 ドッジの任務は、経済安定化計画と日本の世界市場への統合を保証する単一の円・ドル為替レート設定をもとめる 一九四八年一二月の国家安全保障会議(NSC)の指令を実行することであった。
引用ドレーパーや彼の仲間たちにとって、インフレを抑制し、外国からの投資を呼び寄せ、 世界的なドル不足にもかかわらず繊維製品をはじめとする輸出を促進することは、 日本の経済復興を成功させるための相互に関連し合う重要な要素であった。 占領開始から一九四九年までの間、日本経済は慢性的な厳しいインフレに悩み、鉱工業生産は低水準にとどまり、 輸出はさらに低迷する状態であった。  【中略】 当初ドレーパーは、こうした問題の責任を、日本の経済界の自信喪失をもたらした財閥解体・賠償・公職追放などの改革政策に帰して 批判する傾向があった。 しかし改革政策を停止し逆転させるのにおおむね成功したにもかかわらず、 ドレーパーの二度目の訪日の時になっても、悪性インフレは沈静しなかった。 ドレーパー芦田首相に、均衡予算の実施がインフレ抑制の鍵であると述べている。 国家公務員の削減、企業への補助金の削減、国鉄運賃など公共サービス料金の引き上げ、 徴税強化などの措置によって、国家予算は均衡し、インフレの主因を抑えることができるだろう。 こうした措置が政治的に人気のないものであることは、ドレーパーも承知していた。 実際ドレーパーは、アメリカの対日援助計画が政府の均衡予算の厳格な実施に直接結びつかなければ、 弱体な芦田内閣はそれ以前の内閣と同様、経済の安定化には成功しないだろう、と思っていた。 そこでドレーパーマッカーサーに対して、帰国後ただちに、 デトロイト銀行頭取で占領下のドイツで通貨安定化計画を立案したジョセフ・M・ドッジに要請して、 日本経済の混乱を収拾する均衡予算という処方箋をつくらせるつもりだと述べたのであった。
ドレーパー使節団のメンバーが外貨導入こそ経済復興計画にとってきわめて重要だと考えていたのは、驚くことでもない。 アメリカによる対日投資は、高収益が期待でき、日本にとっては不足しがちなドルの獲得源となり得るし、 鉱工業の輸出競争力を強化する手段となる。 そして、連邦議会から対日復興援助要求への支持を獲得する際にも役立つものだったからである。 しかしアメリカの投資家は、「日本経済の現状に満足しておらず、日本は外国からの民間投資を促進するために最大限の努力を払っているとは言えない という印象を受けている」とドレーパー使節団ははっきりと忠告した。 不安定な複雑為替レートがかつてのような貿易関係の再開を困難にしており、 外国からの対日投資増大に対する最大の障害の一つとなっていると、ドレーパー芦田に語った。 インフレが沈静化しない限り、円の単一為替レートは成立し得ない。 しかしそれが成立しなければ「この以上〔外国からの〕投資はあり得ないだろう。 すべてが安定した為替レートにかかわっており、それはさらに均衡予算の必要性にかかっている」のであった。 さらにドレーパー使節団は、外国からの対日投資を妨げている他の多くの要因をも考察していた。 すなわち、日本の税制、獲得した財産に対する法的保護の欠如、収益の本国送金に関する条項の欠如、 戦前にアメリカ人投資家が日本企業に保有していた資産の損害に対する返済や保証に関しワシントンに何らの政策もないことであった。
引用ジョンストン報告は 【中略】 アメリカの原綿を日本に売り、 日本の綿織物をオランダ領東インド諸島に輸出する三角貿易方式を提案していた。 オランダは綿織物の代金を、アメリカの戦略的備蓄計画にとって必要な錫などの原材料の売却代金であてるのである。
引用芦田内閣の責任ともいうべきインフレ克服を中心とする経済緊急対策はどうであったか。 これも、たまたま来朝中の米国陸軍次官ドレーパー使節団が五月十八日に発表した「日本再建四ヵ年計画」によって、 米国の日本占領政策の一環たる経済自立計画の基本方針が定まった。 と同時に、占領後の対日経済政策も一つの転換期を迎えるにいたった。 このドレーパー報告は、日本経済の詳細な分析にもとづき、復興の三大障害として、(1)原料の不足、 (2)大多数の現存工場の状態の悪いこと、および(3)輸送施設の貧弱なことをあげ、 当面のインフレ抑制策として左の六点をあげている。
(1)日本政府はできるだけ早く財政の均衡を図るべきこと
(2)そのために国庫支出を減らすこと
(3)総司令部は日本における米軍の占領費を減らす努力をすること
(4)統制物価をできるだけ速かに生産費と関連させて調整し、国庫補助金の支出をなるべく中止すること
(5)総司令部はひきつづき日本人の納税を奨励すべきこと
(6)日本政府は納税申告書からの所得徴収にいっそう努力し、滞納を許さないこと
きわめて具体的な指示である。 芦田内閣もインフレ克服策として、六月には片山内閣当時から安定本部を中心として策定中であった「中間安定策」なるものを発表したが、 さらにGHQの勧告ともにらみ合わせて具体化し、七月二十−二十三日の閣議をへて「経済安定のための十原則」を発表した。
(1)国内資源の確保ならびに生産の増強
(2)現在の割当および配給制度の有効強力な実施および闇市場の絶滅
(3)食糧供出制度をさらに有効ならしめるよう改善し、このために供出割当の決定をいっそう現実的にする
(4)公定価格を厳重に守り、違反者は即時処罰する
(5)確実にして弾力性ある賃金安定方策の早急な実施
(6)徴税を敏速強力にし、同時に脱税者には刑法上の訴追をもってのぞむ
(7)歳入をさらにふやし、公平の原則に合うよう税負担の再配分を行なうため、新しい税手段を実施する
(8)特別会計の赤字を組織的に減少させる
(9)外国貿易の管理および運用を改善し、政府内に外国為替管理を行なう適当な機関を設ける
(10)現在の資金統制を有効強力に実施する
一方、占領軍の力をかりて労働攻撃を抑えながら、他方こうしたインフレ安定方策によって、 多くに抵抗を受けながら、散発的にまた徐々に経済復興への道を歩む、それが憲法実施後において、 占領下の日本政府に許された一筋の道であった。
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