ベルリン封鎖
1948/06/24
ソ連が、西ドイツから西ベルリンへのルートを遮断、200万人の西ベルリン市民を人質にとった。
    
1945/02/04   ヤルタ会談 (〜02/11)
1945/07/17   ポツダム会談 (〜08/02)
1945/08/30   ドイツ管理理事会設置 (米・英・仏・ソ)
1946/03/05   チャーチル、「鉄のカーテン」演説 (米・ミズーリ州フルトン)
1947/02/10   パリ平和条約調印 (連合国とイタリア・ハンガリーなどの講和)
1947/03/12   トルーマン・ドクトリン
1947/06/05   マーシャル・プラン(ヨーロッパ復興計画)発表
1947/10/05   コミンフォルム(欧州共産党情報局)設置
1948/04/01   ソ連、ベルリンを一部封鎖
1948/06/24   ベルリン封鎖 (〜49/05/12)
1948/06/26   西側諸国、西ベルリンへの大空輸を開始
1948/06/28   コミンフォルム、ユーゴスラビア共産党を除名
1949/04/04   NATO(北太平洋条約)調印
1949/10/01   中華人民共和国成立 (主席:毛沢東
1950/06/25   朝鮮戦争勃発
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用各占領地区の、政治的再編成をいちおう終了した後、占領軍当局は、連合国管理理事会を通じて、 各地区間の経済的連繋をはかろうとした。 しかしこのころから、おもに賠償問題をめぐって米ソ関係は冷却し始め、東西ドイツの経済関係に水をさした。 ついに四八年六月、西側は独自に西ドイツの通貨改革を断行した。 これこそ東西ドイツ間にわずかに残されていた協調の可能性を一掃し、ドイツの分立化を決定する出来事であった。 なるほど新通貨は西ドイツの統一にこそ寄与したが、反面ではソ連による新通貨への非難、両占領地区の隔絶、 ベルリン封鎖、東西ドイツ間のいっさいの通商断絶(四八年六月−四九年五月)という結果をもたらしたのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。