東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決 1948/11/12
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
語録
判事連中はおそらく今日の判決を、最初より予定していたことだろう。
それに米国弁護士を附けたり、弁護側の証拠を提出させたり、時々正義だとか公正などといって、
よくも三年間我慢したものだ。その陰険な忍耐には驚くほかない。
武藤章 (元軍務局長)
語録
戦争をおこなうには、天皇の許可が必要であった。・・・・・・かれが暗殺されたかもしれないということは、
問題の答えにはならない。・・・・・・かれの免責は、疑いなく、すべての連合国の最善の利益のために決定された。
ウイリアム・F・ウェッブ (東京裁判裁判長、オーストラリア代表)
語録
そこに一人の主要な惹起者があり、その者がいっさいの訴追を免がれていることで、
本件の被告は、いずれにしても、その者の共犯者としてしか考えることができない。
アンリ・ベルナール (東京裁判判事、フランス代表)
語録
私は何が裁判所をして、無理な責任を武藤に負わしたかを考えてみた。
判決の構成は、日本の侵略戦に関する共同謀議は、日本陸軍が中心となって、
計画し準備し実行されたと云うようになっている。
この判決を首尾一貫したものとするには、陸軍を罰せねばならぬ。
ところが日本陸軍のどこをとってみても、ナチスの如き共同謀議の主体がない。
そこで東条を中心とした次官と局長とを槍玉にあげたものと思われる。
武藤章 (元軍務局長)
引用十一月十二日、断罪をきく。
私は、東大の文学部事務室でラジオを通して、それを聞いていた。
断罪の劇的な情景を、新聞はきそってこれを報道した。
その中に、断罪の宣告をうけた人々が、いちいち礼をして退出したという描写がみられた。
これについて、外人筋では、判決をうけるに際して、暴言を吐くとか、あるいは失神するとか、
そういった動作を予期していた口吻がニュースの端々にみえた。
ある日本の新聞は、またこれを「お辞儀をするのは習慣」と簡単にあつかっているものもみられた。
しかし、私は、これらの見解を皮相なものと思い、その浅薄さを情けないものに思わないわけにはいかなかった。
私は、これよりまえ、これらの人々に接した体験によって、この人々が、
すでに深い宗教的な気持にひたっていると感じていたので、暴言も予期しなければ、失神も予期せず、
当然、こうした礼が素直に出るものと、予想していたのである。
それは、単なる「習慣」などのものではない、もっと深い境地のものである。
私はその気持を
―つつしんでうけるということと、いろいろご苦労でありました
―の二つが、しっくりと、混合したものであったと、とっている。花山信勝 「巣鴨の生と死」
P.216この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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