東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
1948/11/12
えっ、木村兵太郎も絞首刑? 極東国際軍事裁判、疑惑の判決で幕。
    
1945/07/26   連合国、ポツダム宣言発表
1945/08/14   御前会議、ポツダム宣言受諾を決定
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/09/02   降伏文書調印 (全権:重光葵梅津美治郎/第二次世界大戦終結)
1945/09/11   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令@ (東條東郷ら39人)
1945/09/11   東條英機自殺未遂
1945/09/12   杉山元、ピストル自殺
1945/11/19   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令A (小磯松岡ら11人)
1945/12/02   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令B (平沼広田ら59人)
1945/12/06   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令C (近衛木戸ら9人)
1945/12/07   軍事裁判で山下奉文に死刑判決 (マニラ/46/02/23 死刑執行)
1945/12/16   近衛文麿、服毒自殺
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
1948/12/23   東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行
1948/12/24   GHQ、岸信介らA級戦犯容疑者19人を釈放と発表
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
語録 判事連中はおそらく今日の判決を、最初より予定していたことだろう。 それに米国弁護士を附けたり、弁護側の証拠を提出させたり、時々正義だとか公正などといって、 よくも三年間我慢したものだ。その陰険な忍耐には驚くほかない。
武藤章 (元軍務局長)
語録 戦争をおこなうには、天皇の許可が必要であった。・・・・・・かれが暗殺されたかもしれないということは、 問題の答えにはならない。・・・・・・かれの免責は、疑いなく、すべての連合国の最善の利益のために決定された。
ウイリアム・F・ウェッブ (東京裁判裁判長、オーストラリア代表)
語録 そこに一人の主要な惹起者があり、その者がいっさいの訴追を免がれていることで、 本件の被告は、いずれにしても、その者の共犯者としてしか考えることができない。
アンリ・ベルナール (東京裁判判事、フランス代表)
語録 私は何が裁判所をして、無理な責任を武藤に負わしたかを考えてみた。 判決の構成は、日本の侵略戦に関する共同謀議は、日本陸軍が中心となって、 計画し準備し実行されたと云うようになっている。 この判決を首尾一貫したものとするには、陸軍を罰せねばならぬ。 ところが日本陸軍のどこをとってみても、ナチスの如き共同謀議の主体がない。 そこで東条を中心とした次官局長とを槍玉にあげたものと思われる。
武藤章 (元軍務局長)
引用十一月十二日、断罪をきく。 私は、東大の文学部事務室でラジオを通して、それを聞いていた。
絞首刑は、土肥原広田板垣木村松井武藤東条の七名。
重光の七年、東郷の二十年を除いて、あとの十六名はいずれも終身禁固刑。 無罪はついに一名も出なかった。
断罪の劇的な情景を、新聞はきそってこれを報道した。 その中に、断罪の宣告をうけた人々が、いちいち礼をして退出したという描写がみられた。 これについて、外人筋では、判決をうけるに際して、暴言を吐くとか、あるいは失神するとか、 そういった動作を予期していた口吻がニュースの端々にみえた。 ある日本の新聞は、またこれを「お辞儀をするのは習慣」と簡単にあつかっているものもみられた。
しかし、私は、これらの見解を皮相なものと思い、その浅薄さを情けないものに思わないわけにはいかなかった。 私は、これよりまえ、これらの人々に接した体験によって、この人々が、 すでに深い宗教的な気持にひたっていると感じていたので、暴言も予期しなければ、失神も予期せず、 当然、こうした礼が素直に出るものと、予想していたのである。
それは、単なる「習慣」などのものではない、もっと深い境地のものである。 私はその気持を―つつしんでうけるということと、いろいろご苦労でありました ―の二つが、しっくりと、混合したものであったと、とっている。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。