下山事件
1949/07/06
国鉄大リストラ発表の直後、国鉄総裁が轢死体で発見された。
    
1949/03/07   ドッジ、経済安定9原則実施について声明 (ドッジライン)
1949/05/04   閣議、行政整理を決定 (05/30 行政機関職員定員法成立)
1949/06/24   国鉄労組中央委員会、行政整理反対の実力行使方針を決定
1949/07/04   国鉄、人員整理@(3万700人)の通告を開始と発表
1949/07/06   下山事件 (下山定則国鉄総裁、轢死体で発見)
1949/07/12   国鉄、人員整理A(6万3000人)の通告を開始と発表
1949/07/15   三鷹事件 (無人電車暴走)
1949/08/17   松川事件 (旅客列車転覆)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用行政整理と企業整備をほとんど何の抵抗もなく成功させたものは、吉田内閣の政治力でもなく、財界の組織力でもなく、 いわんや労働者の納得でもなく、七月四日のマッカーサー声明と下山事件から三鷹事件を経て松川事件にいたる一連の ―アメリカのCIAと占領軍が工作したと推理される一連の事件の結果であった。 とくに最初の事件としての下山事件が果した役割は大きかった。 国鉄の加賀山副総裁は、のちに下山「事件を契機に国鉄の大整理も漸次進行して無事終了した」のだから、 「下山総裁の死は徒死ではなかった」し、むしろ「貴重な犠牲であった」と自記し、 東芝の石坂社長は、のちに「ぼくの東芝再建には下山氏の死に負うところが大きい」し、 「同氏の犠牲は、当時の混乱したいろいろの争議〔解決〕に大いに役立った」のだから、 「同氏の死は犬死ではない」と追想し、いちどはぜひ故下山総裁の墓参りをしなければならないとかんがえた。
吉田内閣は、抵抗の挫折に乗じてさらに弾圧を強化した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。