朝鮮戦争勃発
1950/06/25
武力による南北朝鮮の統一をめざして、北朝鮮軍、38度線を突破。
    
1949/10/01   中華人民共和国成立 (主席:毛沢東
1950/06/25   朝鮮戦争勃発
1950/06/25   国連・安保理、北朝鮮に敵対行為の即時中止を要求 (ソ連欠席)
1950/06/27   トルーマン(米)大統領、韓国軍援助のため海空軍に出撃命令
1950/06/28   北朝鮮軍、ソウル占領
1950/06/29   小倉・八幡・門司・戸畑市に警戒警報発令、灯火管制実施 (朝鮮戦争)
1950/07/01   アメリカ軍、釜山に上陸
1950/07/08   マッカーサー、吉田首相宛書簡で警察予備隊の創設などを指令
1950/07/08   トルーマン(米)大統領、マッカーサー元帥を国連軍最高司令官に任命
1950/08/10   警察予備隊令公布
1950/09/15   国連軍、仁川に上陸 (反撃開始)
1950/10/01   周恩来、侵略戦争粉砕のため奮闘せよと演説
1950/10/03   国連軍、38度線突破 (10/10 中国抗議)
1950/10/25   中国人民義勇軍、鴨緑江を越えて出撃
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用一九五〇年(昭和二十五年)六月二十五日早暁、朝鮮半島の三十八度線ぞいの各地で、 北朝鮮軍と韓国軍との間に戦闘が開始され、たちまちのうちに両国間の全面戦争に発展したのだ。
韓国の駐留米軍は一年前に撤退していたこともあって、韓国側の軍事力は弱く、首都ソウルはわずか三日後に陥落し、 韓国軍は南へ後退する一方だった。
引用朝鮮事変の勃発は六月二十五日の払暁午前四時、韓国の軍隊と北朝鮮内務省の警備隊とが、 三十八度線全域にわたって武力衝突したのが発端であった。 二十五日には国連の安保理事会は緊急会議を開いて、即時停戦、北鮮軍の撤退を決議した。 だが、二十六日午後、総司令部から外務省にあてて入ってくる報告は、
「北鮮は国連安保理事会の決議、米国の警告を無視し、さらに南進中」
トルーマン米大統領は、在韓米軍に対し、対韓支援の軍事行動を命令」
「国連総会は米軍の軍事行動を警察行動と認め、自由陣営諸国で国連軍を編成、半島に出兵させる方針」
いずれも吉田を、暗黒の淵に沈み込ませるようなものばかりであった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。