安達 謙蔵
1864 − 1948
[ あだち・けんぞう ]
内相、逓相、外務政務次官、国民同盟委員長、新聞記者
一覧 (ア)   
エピソード 1調査中。
・ 熊本県出身。済々黌に学び、上京後、佐々友房に従って渡韓、「漢城新報」を発行。
・ 日清戦争には記者として従軍。閔妃殺害事件に関与して拘引される。
・ 佐々らと熊本国権党を結成。熊本県から代議士に選出される。
・ 桂太郎立憲同志会創立に参画し、さらに憲政会の幹部として活躍。
・ 政友会の岡崎邦輔とともに護憲三派の成立に活躍、普通選挙法の成立に尽力した。
・ 「選挙の神様」と呼ばれ、加藤(高)内閣の逓相として初入閣。浜口内閣若槻内閣Aの内相。
・ 若槻内閣Aが満州事変に直面すると、政友会の一部と結んで軍部に接近。
・ 挙国一致を唱え幣原外相井上蔵相らと対立、閣内不統一で内閣を崩壊に導いた。
・ 中野正剛らと国民同盟を結成、平沼騏一郎擁立を画策して失敗した。
1895/10/08   閔妃暗殺
1913/01/20   桂首相、新党結成計画発表
1913/12/23   立憲同志会結成 (総裁:加藤高明
1916/10/10   憲政会結成 (立憲同志会など3党合同/総裁:加藤高明
1924/01/10   護憲運動A開始
1924/06/11   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)成立 (首相:加藤高明
1925/04/22   治安維持法公布
1925/05/05   普通選挙法公布 (男子普通選挙)
1925/07/31   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)総辞職
1925/08/02   加藤(高)内閣(憲政会単独内閣)成立 (政友会、政権を離脱)
1926/01/28   加藤(高)内閣総辞職
1926/01/30   若槻内閣@成立 (首相:若槻礼次郎/全閣僚留任)
1926/12/25   大正天皇崩御 (昭和天皇即位)
1927/03/14   片岡蔵相失言 (→金融恐慌)
1927/04/17   若槻内閣@総辞職
1927/06/01   民政党結成 (総裁:浜口雄幸
1929/07/02   浜口内閣成立 (首相:浜口雄幸
1930/01/11   金解禁 (蔵相:井上準之助
1930/04/22   ロンドン海軍軍縮条約調印
1930/04/25   統帥権干犯問題 (犬養毅鳩山一郎が追及)
1930/11/14   浜口首相狙撃事件 (東京駅/犯人:佐郷屋留雄)
1931/03/17   三月事件 (陸軍によるクーデター未遂)
1931/04/13   若槻礼次郎、民政党総裁就任
1931/04/13   浜口内閣総辞職
1931/04/14   若槻内閣A成立 (首相:若槻礼次郎
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/09/24   政府、不拡大方針を声明
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1931/11/18   日本政府、満州への増派を閣議決定
1931/11/21   安達内相、政友・民政協力内閣を主張 (声明発表)
1931/12/11   若槻内閣A総辞職 (安達内相の辞任拒否で閣内不統一)
1931/12/13   安達前内相ら、民政党脱党
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。