明石 元二郎
1864 − 1919
[ あかし・もとじろう ]
台湾総督、韓国駐箚憲兵隊司令官、陸軍大将
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エピソード 1調査中。
・ 福岡藩士の子に生まれ、陸軍幼年学校を経て、陸士卒、陸大卒。
・ ドイツ留学後、近衛師団参謀として台湾に出征。
・ その後、参謀本部員として東南アジア、南洋諸島、清、フランス、ロシアなどに派遣される。
・ 日露戦争中、謀略工作に携わり、ヨーロッパ・ロシアの革命派を援助。
・ 戦後は、韓国駐箚憲兵隊司令官などを歴任、韓国における憲兵政治の確立に尽力した。
・ 参謀次長、第6師団長歴任後、台湾総督となるも、在任中に病死。
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1904/02/10   明石大佐、公使館員とともにペテルブルク退去 (明石工作開始)
1905/01/22   血の日曜日事件
1905/06/27   戦艦「ポチョムキン」の反乱
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1905/12/20   韓国統監府設置 (12/21 伊藤博文を韓国統監に任命)
1905/12/28   明石大佐帰国
1910/08/22   韓国併合 (日韓条約調印)
1912/07/29   明治天皇崩御
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1914/08/23   対独参戦 (宣戦布告)
引用明石のしごとは、【中略】 気流を洞察するところからはじまり、それにうまく乗り、 気流のまにまに舞いあがることによって、一個人がやったとはとうていおもえないほどの巨大な業績をあげたというべきであり、 そういう意味では、戦略者として日本のどの将軍たちよりも卓絶しており、
―君の業績は数個師団に相当する。
と、戦後先輩からいわれたことばは、まだまだ評価が過小であった。 かれ一人の存在は在満の陸軍のすべてか、それとも日本海にうかぶ東郷艦隊の艦艇のすべてにくらべてもよいほどのものであった。
エピソード 調査中。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「明石元次郎」は表記に誤りがあります。