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相沢 三郎 1889 − 1936
[ あいざわ・さぶろう ]
「皇道派」青年将校、歩兵第5連隊大隊長、陸軍戸山学校教官、陸軍中佐
エピソード 1調査中。
評
相沢中佐は大岸大尉をかねて人生開眼の師として尊敬していた。
軍務以外では後輩に対しても万事丁寧だったが、とくに大岸大尉に対してはそうだった。
他人に話すときも大岸大尉のことを大岸先生というのが常だった。
末松太平 (元陸軍大尉)
評
当時大井にあった体操学校の配属将校だった中佐は、学生たちからよき教官として慕われていた。
中佐の宅と私の宅とは、線路を隔ててはいたが目と鼻の近くで家庭的にもつき合っていた。
風ぼうに似合わぬ物静かなところがあって、家庭では、よきパパであったらしい。 頭の人ではなかったし、東北なまりがあって、弁舌も爽やかではない。 しかし生一本なところがあって、よく政治を論じ、世相を歎き、国家革新を断行せよと叫ぶあたりはかなり言葉に熱がこもっていた。 池田純久 (元陸軍中将)
評
相沢中佐には素朴な軍人精神に固まったコチコチの隊付将校の姿が浮かんでくる。
田舎の連隊回りをしている中年の将校にはよく見かける型だ。
剣道が強くて、一本気で、融通がきかない。
礼儀は正しいが上官に対して愛嬌も社交性もない。
無口で、全身これ忠君愛国の軍人精神に燃えている。
武士道を遵奉しているが、近代的な素養には欠けている。
家庭を愛してはいるが、皇国のためならいつでもそれを犠牲になし得る。
戦闘させれば軍刀を振るって兵より先に突撃しそうだ。
質素で、頑固で、熱情的である。
出世とはおよそ縁のない地方将校―そういう男の像が浮かんでくる。
松本清張 (作家)
引用相澤三郎―。
色浅黒く容貌魁偉。武道に鍛え上げられた筋骨はがっちりとして逞しく、巨漢である。
少年のように純粋で朴訥、折り目正しく、滑稽なまでに生真面目で謙譲、
一途に生きた愚直な軍人であった。
升本喜年 「軍人の最期」
P.231この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「相沢三郎」は「相澤三郎」とも表記されることがあります。 |