荒木 貞夫
1877 − 1966
[ あらき・さだお ]
陸相、文相、陸大校長、憲兵司令官、陸軍大将、A級戦犯
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エピソード 1調査中。
・ 東京出身。陸士卒、陸大卒。
・ 精神的、反共的言動が右翼や青年将校に支持され、十月事件では首相候補に擬せられる。
・ 犬養内閣斉藤内閣の陸相。皇道派の雄として派閥人事を断行、統制派との対立を深めた。
・ 戦後、A級戦犯として「終身禁固」の判決。のち仮出所し講演活動などを行った。
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1931/12/13   犬養内閣成立 (首相:犬養毅
1932/01/28   上海事変@勃発
1932/03/01   満州国建国宣言
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1932/05/16   犬養内閣総辞職
1932/05/26   斉藤内閣成立 (首相:斉藤実
1932/09/15   満州国承認 (日満議定書調印)
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
1933/04/22   滝川事件 (鳩山文相、滝川教授の辞職を京都帝大総長に要求)
1933/09/11   五・一五事件陸軍側判決 (全員禁固4年)
1934/01/23   荒木陸相辞任 (後任:林銑十郎
1935/02/19   天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1935/07/15   真崎教育総監更迭 (後任:「統制派」渡辺錠太郎
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1936/02/26   二・二六事件
1937/06/04   近衛内閣@成立 (首相:近衛文麿
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1937/08/13   上海事変A
1938/04/01   国家総動員法公布
1938/05/26   近衛内閣@改造
1939/01/04   近衛内閣@総辞職
1939/01/05   平沼内閣成立 (首相:平沼騏一郎
1939/05/12   ノモンハン事件 (第23師団独断でソ連軍と戦闘)
1939/07/26   アメリカ、日米通商航海条約の廃棄を通告 (40/01/26 失効)
1939/08/28   平沼内閣総辞職 (欧州の天地は複雑怪奇)
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/11/19   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令A (小磯松岡ら11人)
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
語録 ばかを言え! 一升や二升のはした酒で酔っぱらう荒木貞夫だと思うか。 今日は貴様とのみくらべだ。
語録 シベリア事変のだらしなさに憤慨した私は、意見を具申したことが原因で、現地からよびもどされた。 そして熊本の連隊長として転任した。 三年間欧州の戦場でむこうの兵隊ばかりを見てきた私の眼には「これが祖国の兵隊か」とおもうと、泣きたいくらい。 新兵器らしいものはなにもない。 板を叩いて機関銃攻撃に模し、竹トンボをとばして飛行機が飛んできたと、その竹トンボ目標に小銃の射撃をやっている。 戦車となると大きな竹籠のようなものに新聞紙を貼り、これに迷彩を施して、 二本の竹捧で兵隊が二人でかついで来て「戦車来襲」と叫ぶ。
荒木貞夫という将軍は、明治以来の軍人のなかで全く異色の人であった。 頭脳明晰、博識多才、能弁で説得力があったから人を惹きつけた。 しかも誰にでも胸襟を開いて赤心を吐露したから、その門を訪れる人が多かった。 昭和六年の内外多事の秋、この人をこそと青年将校たちに崇拝され、期待されたのである。
菅波三郎 (元陸軍大尉)
引用荒木は皇道派の先頭に立っている人物であり、 生来の陽気な性格から国粋主義を吹聴していたので、青年将校たちの人気を集めるようになった。
荒木が陸相になったとき、青年将校たちの期待は非常なもので、すぐにも荒木が劃期的な革新を断行すると思っていた。 また、一方、政党や財界は、荒木なら部内の急進分子を抑えることができると期待した。 ここに荒木の人気の矛盾があった。 荒木の没落は、こうした矛盾のためである。 結局、彼は両方とも満足させることができなかったのである。
引用荒木はただの士族ではない。 御三卿の一つである一橋家の士族である。 超然として武士道精神を貫く文武両道の環境に育っている。自ら備わる気品もある。 頭もいい。剣道の達人でもある。
【中略】 こちこちの軍人精神の塊で、一直線の荒木という男は、単純であり子供っぽい。 愚直の若殿といった感じである。 今日の言葉でいえば、少々アナクロで漫画チックである。 真っ正直の世間知らずでもある。 一歩引いて見つめれば、優越感と親近感をくすぐることにもなる。
引用荒木は演説が得意で、国体精神の昂揚を説き、満州事変の意義を強調し、 国政の改革を論ずる。 盛んに新聞、雑誌にも取り上げられ、荒木の古武士的日本主義の雰囲気と演説は、満州事変後のこの時期、 軍国的気分と軍国主義昂揚の波に乗って、爆発的喝采を浴びた。
荒木の外人記者相手の「日本は竹槍千万本あれば、列強恐れるに足らず」という「竹槍論」や 雑誌社(改造社)の招聘で来日したイギリスの文豪バーナード・ショーとの対談で度胆を抜いたと伝えられる 「古来、日本人は地震によって、強靭な国民性を養われて来た」という「地震論」などの派手な国防論は、 尾鰭をつけて広がり伝説とさえなった。
荒木の精神主義強調と野党的言動、それに上下の枠を越えた青年将校らとの接し方は、 彼らに抜群の人気があった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。