ウイリアム・H・ドレーパー 1894 − 1974
陸軍次官、対日賠償調査団団長、ドイツ占領軍軍政府経済部長 / アメリカ
エピソード 1調査中。
引用一八九四年にニューヨークで生まれたドレーパーは、ニューヨーク大学で経済学を学び、一九一六年に学士号を、
翌一七年に修士号を得た。
第一次世界大戦中は、一年半の軍務のほとんどをニューヨーク州プラッツバーグの将校訓練キャンプの教官としてすごしている。
陸軍少佐で退役した後、予備役となり、四〇年、大佐として陸軍省参謀部に呼び戻された時には、
ウォール街の金融界を代表する人物としての地位を確立していた。
礼儀正しく、柔和な話し方をし、背も高くつねに上品な身づくろいをしていたドレーパーは、
一九年から二六年までナショナル・シティ・バンクやバンカーズ・トラスト社に勤めた後、二七年、世界最大の投資銀行の一つ
ディロン・リード社に入社し、またたく間に副社長に昇進したのである。
終生の共和党員で、准将になっていたドレーパーが、初めてハリー・S・トルーマン政権に仕えたのは、
ドイツ軍政長官代理ルシアス・クレイ将軍の首席経済顧問としてであった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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