ウイリアム・H・ドレーパー
1894 − 1974
陸軍次官、対日賠償調査団団長、ドイツ占領軍軍政府経済部長 / アメリカ
一覧 (タ)   
エピソード 1調査中。
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1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/05/07   ドイツ、無条件降伏 (ベルリン陥落)
1945/09/02   降伏文書調印 (全権:重光葵梅津美治郎/第二次世界大戦終結)
1946/03/05   チャーチル、「鉄のカーテン」演説 (米・ミズーリ州フルトン)
1947/06/05   マーシャル・プラン(ヨーロッパ復興計画)発表
1948/03/20   ドレーパー調査団来日
1948/05/18   アメリカ陸軍省、ドレーパー調査団報告を発表
1948/06/24   ベルリン封鎖 (〜49/05/12)
1949/02/01   ドッジ(GHQ経済顧問)ら来日
1949/03/07   ドッジ、経済安定9原則実施について声明 (ドッジライン)
1949/04/04   NATO(北太平洋条約)調印
1949/10/01   中華人民共和国成立 (主席:毛沢東
1950/06/25   朝鮮戦争勃発
引用一八九四年にニューヨークで生まれたドレーパーは、ニューヨーク大学で経済学を学び、一九一六年に学士号を、 翌一七年に修士号を得た。 第一次世界大戦中は、一年半の軍務のほとんどをニューヨーク州プラッツバーグの将校訓練キャンプの教官としてすごしている。 陸軍少佐で退役した後、予備役となり、四〇年、大佐として陸軍省参謀部に呼び戻された時には、 ウォール街の金融界を代表する人物としての地位を確立していた。 礼儀正しく、柔和な話し方をし、背も高くつねに上品な身づくろいをしていたドレーパーは、 一九年から二六年までナショナル・シティ・バンクやバンカーズ・トラスト社に勤めた後、二七年、世界最大の投資銀行の一つ ディロン・リード社に入社し、またたく間に副社長に昇進したのである。 終生の共和党員で、准将になっていたドレーパーが、初めてハリー・S・トルーマン政権に仕えたのは、 ドイツ軍政長官代理ルシアス・クレイ将軍の首席経済顧問としてであった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。