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袁世凱 1859 − 1916
[ えん・せいがい ]
大総統、皇帝、首相、直隷総督 / 中国
エピソード 1調査中。
引用清王朝における最大の実力者は李鴻章であったが、この人物は北清事変が片づくとともにこの年、病没した。
かわって声望を高めはじめているのは、袁世凱である。
「梟雄」
とのちにいわれた男だけに、李鴻章よりもはるかに食えない。
李はなんといっても衰亡してゆく王朝の柱石といったところがあったが、袁はそういうまじめさはない。
清朝の臣でありながら、すでに清王朝のほろびを見越して自立する考えをもっていた。
袁は、李が科挙(高等官登用試験)をへた学者であるのに対し、それの落第生あがりである。
中国にはむかしから金で官職を買う「捐納」という制度があったが、袁はその方法で官吏になり、やがて武職に転じ、
兵を養って軍閥を形成して行った。
日清戦争ののちは清国でも軍隊の洋式化がさかんになったが、袁はそれを担当し、
そういう軍隊勢力を背景に政界に進出し、北清事変当時は山東鎮撫という重職についた。
かれがいかに食えぬ男であるかは、北清事変のときの挙動でもわかる。
あのとき清国は義和団と連合してついに列国に宣戦布告するにいたるが、袁はその軍隊を最後まで山東にとどめてうごかさず、
清軍および義和団が壊滅すると、無傷の軍隊をひきいて戦後経営にのりだした。
袁世凱はのちに革命派と手をにぎりあって清王朝をたおし、
初代の中華民国大総統になるのだが、すぐ本心をあらわして帝政をしく謀略をすすめ、自分が皇帝になろうとし、
やがて天下の信望をうしない、混乱のなかで病没するにいたる。
司馬遼太郎 「坂の上の雲(2)」
P.395この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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