後藤 新平 1857 − 1929
[ ごとう・しんぺい ]
内相、外相、逓相、満鉄総裁、東京市長、帝都復興院総裁、医師
エピソード 1出世のきっかけは板垣退助。
板垣が岐阜で凶刃に遭ったことは「自由は死なず」の言葉とともに有名だが、
このとき、手当てにかけつけたのが愛知県病院の院長を務めていた後藤。
当時、反政府の象徴的存在だった板垣とかかわり合いになるのを恐れた県庁の制止を振り切って、駆けつけるや、
「ご本望でしょう」と一言言ってから治療を施したのがウケたらしい。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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