後藤 新平
1857 − 1929
[ ごとう・しんぺい ]
内相、外相、逓相、満鉄総裁、東京市長、帝都復興院総裁、医師
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エピソード 1出世のきっかけは板垣退助。 板垣が岐阜で凶刃に遭ったことは「自由は死なず」の言葉とともに有名だが、 このとき、手当てにかけつけたのが愛知県病院の院長を務めていた後藤。 当時、反政府の象徴的存在だった板垣とかかわり合いになるのを恐れた県庁の制止を振り切って、駆けつけるや、 「ご本望でしょう」と一言言ってから治療を施したのがウケたらしい。
・ 岩手県出身。水沢藩士の家に生まれる。
・ 須賀川医学校を卒業後、愛知県病院長を経て内務省衛生局に入る。
・ ドイツ留学後、衛生局長。
・ 台湾総督府民政局長として植民地経営に手腕を振るい、満鉄初代総裁に就任。
・ 逓相兼鉄道院総裁、内相、鉄道院総裁など歴任後、外相としてシベリア出兵を推進。
・ 内相と帝都復興院総裁を兼任し、関東大震災後の帝都復興に尽力する。
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1906/11/26   南満州鉄道株式会社(満鉄)設立 (総裁:後藤新平
1908/07/14   桂内閣A成立 (首相:桂太郎
1908/10/13   戊申詔書
1909/10/26   伊藤博文射殺事件
1910/08/22   韓国併合 (日韓条約調印)
1911/02/21   関税自主権回復 (日米通商航海条約改正)
1911/08/25   桂内閣A総辞職
1912/07/29   明治天皇崩御
1912/12/19   憲政擁護連合大会@ (護憲運動@開始)
1912/12/21   桂内閣B成立 (首相:桂太郎
1913/01/20   桂首相、新党結成計画発表
1913/02/11   桂内閣B総辞職 (大正政変)
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1916/10/09   寺内内閣成立 (首相:寺内正毅
1918/08/03   米騒動 (富山県中新川郡西水橋町→全国に波及)
1918/09/21   寺内内閣総辞職
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1923/09/01   関東大震災
1923/09/02   山本内閣A成立 (首相:山本権兵衛
1923/09/16   甘粕事件 (犯人:甘粕正彦
1923/12/27   虎の門事件 (摂政宮襲撃/犯人:難波大助)
1923/12/29   山本内閣A総辞職
1926/04/02   後藤新平、若槻・田中・床次3党首を訪問、「政治の倫理化」を要請
1926/12/21   政友会・政友本党、提携成立 (後藤新平の斡旋)
1929/04/13   後藤新平
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。