ハインリッヒ・ヒムラー
1900 − 1945
内相、ゲシュタポ長官、ナチス親衛隊隊長 / ドイツ
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1932/07/31   ナチス、第1党に躍進
1933/01/30   ヒトラー内閣成立 (独)
1933/02/27   国会議事堂放火事件 (ベルリン)
1933/03/23   ドイツ議会、全権委任法を可決 (ヒトラー独裁体制確立)
1933/04/26   ゲジュタポ発足 (長官:ゲーリング
1933/07/14   ヒトラー、新政党の結成を禁止
1934/06/30   レーム事件 (ヒトラーレームらを粛清)
1935/03/06   ドイツ、再軍備宣言
1935/09/15   ニュルンベルク法公布 (ユダヤ人迫害の法制化)
1935/10/21   ドイツ、国際連盟脱退
1936/03/07   ドイツ軍、ラインラント進駐
1938/03/13   ドイツ、オーストリア併合
1938/09/29   ミュンヘン会談
1939/08/23   独ソ不可侵条約締結
1939/09/01   ドイツ軍、ポーランド侵攻開始 (第二次世界大戦勃発)
1940/05/10   ドイツ軍、西部戦線に総攻撃開始
1940/06/22   フランス(ペタン政府)降伏
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/06/22   独ソ戦開始
1943/09/08   イタリア、無条件降伏
1943/09/12   ドイツ軍特殊部隊、ムッソリーニ救出
1944/06/06   連合軍、ノルマンディー上陸作戦開始 (オーバーロード作戦)
1944/07/20   ヒトラー暗殺計画失敗
1945/02/04   ヤルタ会談 (〜02/11)
1945/04/22   ソ連軍戦車隊、ベルリン市街に突入
1945/04/30   ヒトラー自殺
1945/05/07   ドイツ、無条件降伏 (ベルリン陥落)
引用ヒムラーは、一九四三年にはヒトラーにつぐ第三帝国第二番目の人物にのしあがった。 彼は良家の出身であり、順調に大学を卒業していたので、単純で人のよい家父長的な性格があり、 部下には自由に腕をふるわせていた。 したがって親衛隊の内部では、おたがいに親密な信頼関係があり、団結がかたく、ヒムラーは部下から無条件に信頼されていた。
ドイツ支配勢力の大半にとっては帝国主義政策のための一手段にすぎなかった狂気じみたナチスの諸政策を、 ヒムラーたちは疑うことも知らずにまじめに信じこんで実行したのであって、ここに彼らの悲劇があったのである。 巨大な犯罪組織の大親分といった印象が彼にはまったくなくて、 「まるで田舎の小学校長のようだ」といわれてきたのもこのゆえである。
引用ハインリヒ・ヒムラー。その父は高等学校の校長をつとめたこともあり、ヒムラー自身、一見すると、 物腰のやわらかい学校の校長のようなタイプにみえた。 だが実際には、そうした外見とはうらはらに、彼はヒトラーの人種理論の忠実な使徒として、過酷なナチスの弾圧政治の実行者となったのだった。 あの悪名たかい秘密国家警察もふくめて、すべての政治警察機構は親衛隊の組織に組みいれられ、 ヒムラーとその協力者ハイドリヒの意のままに動かされた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「ハインリッヒ・ヒムラー」は「ハインリヒ・ヒムラー」とも表記されることがあります。