パウル・フォン・ヒンデンブルク 1847 − 1934
大統領、参謀総長 / ドイツ
エピソード 1調査中。
引用元帥は巨大な体躯 ―身長六フィート五インチ・体重二百ポンド ―を持ち、粘液質の寡黙な典型的プロイセン軍人だった。
いかにも単純そうに見えたが、実は老獪とも評すべき打算家であって、たくまざる自己演出に長じていた。
とくに、他人の功績を横取りして自分の手柄にし、自分の失敗を他人に転嫁して涼しい顔をしながら、
人格高潔な無欲無私の愛国武将というイメージを樹立する処世術を、器用に身につけていた。
タンネンベルクの大勝はルーデンドルフ参謀長の鬼才に帰すべきものなのに、ヒンデンブルグが栄誉を独占した。
西部戦線の破綻とそれにつづく敗戦の責任は、参謀総長ヒンデンブルグが負わねばならぬのに、
すべての汚名をきたのは次長ルーデンドルフだった。
ヒンデンブルグはルーデンドルフのロボットに過ぎなかったのだが、一見高邁愚直な人柄が幸いしたのである。
カイザーが退位を余儀なくされたとき、引導を渡したのは、ヒンデンブルグ ―終始沈黙していた ―ではなく、
グレーナー参謀次長(ルーデンドルフの後任)である。
休戦協定にしてからが、本来ならヒンデンブルグが署名せねばならぬのに、
エルツベルガー代議士にまかせ、彼は泣いてエルツベルガーに感謝したのだが、そのエルツベルガーは敗戦主義者として暗殺されてしまった。
つづくヴェルサイユ講和条約の諾否をめぐって閣議が分裂し、エーベルト大統領がヒンデンブルグに軍部の意見を求めたとき、
元帥は故意に執務室から外出したので、グレーナー次長が代わって、受諾のほかない、と答えたが、
元帥は次長に、「君は大変な責任を負ったものだな」とつぶやいた。
加瀬俊一 「ワイマールの落日」
P.155この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「ヒンデンブルク」は「ヒンデンブルグ」とも表記されることがあります。 |