平沼 騏一郎
1867 − 1952
[ ひらぬま・きいちろう ]
首相、法相、枢密院議長、司法次官、検事総長、国本社社主、A級戦犯
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エピソード 1調査中。
・ 岡山県出身。津山藩士の家に生まれる。
・ 帝大卒業後、判事、東京控訴院部長を経て検事に転じる。
・ 司法次官、検事総長、大審院長を歴任後、山本内閣Aの法相に就任。
・ 虎の門事件に衝撃を受け国本社を結成、皇室中心主義を主張。隠然たる勢力を築く。
・ 国本社を解散し、枢密院議長に就任。近衛内閣@のあと、首相就任。
・ 日独伊三国軍事同盟締結に腐心するうち、ノモンハン事件が発生。
・ 続いて独ソ不可侵条約が結ばれるや、「複雑怪奇」の流行語を残して総辞職
・ 他の重臣とともに、東條内閣倒閣、終戦工作を推進。
・ 戦後、A級戦犯として東京裁判で「終身禁固」の判決。服役中に病死。
1923/09/01   関東大震災
1923/09/02   山本内閣A成立 (首相:山本権兵衛
1923/09/16   甘粕事件 (犯人:甘粕正彦
1923/12/27   虎の門事件 (摂政宮襲撃/犯人:難波大助)
1923/12/29   山本内閣A総辞職
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1939/01/05   平沼内閣成立 (首相:平沼騏一郎
1939/05/12   ノモンハン事件 (第23師団独断でソ連軍と戦闘)
1939/07/26   アメリカ、日米通商航海条約の廃棄を通告 (40/01/26 失効)
1939/08/28   平沼内閣総辞職 (欧州の天地は複雑怪奇)
1939/09/01   ドイツ軍、ポーランド侵攻開始 (第二次世界大戦勃発)
1940/07/22   近衛内閣A成立 (首相:近衛文麿
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1940/10/12   大政翼賛会発足
1941/04/16   日米交渉開始
1941/07/02   御前会議、「南進」「北進準備」を決定
1941/07/16   近衛内閣A総辞職
1941/07/18   近衛内閣B成立 (首相:近衛文麿
1941/07/28   南部仏印進駐
1941/08/01   アメリカ、対日石油輸出禁止
1941/09/06   御前会議、対米開戦を決意 (「帝国国策遂行要領」決定)
1941/10/16   近衛内閣B総辞職
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/08/10   御前会議、条件付きでポツダム宣言受諾を決定
1945/08/14   御前会議、ポツダム宣言受諾を決定
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/12/02   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令B (平沼広田ら59人)
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
引用平沼は第二次西園寺内閣の司法次官、 一九一二年(大正元)から検事総長を一〇年間つとめ、一九二一年大審院長、第二次山本権兵衛内閣の司法大臣を歴任し、 名実ともに司法界の大御所として、枢密院内に隠然たる勢力をもっていた。 また、一九二四年には右翼団体国本社を創立、復古的日本主義を標榜して、軍部との結びつきもつよかった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。