林 銑十郎
1876 − 1943
[ はやし・せんじゅうろう ]
首相、陸相、陸軍大将、「越境将軍」
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エピソード 1満州事変のとき、無断で朝鮮軍を動かし「越境将軍」を異名をとった。 その“従順ぶり”を、ロボット首相を望む石原莞爾に見込まれ首相に。 「祭政一致」という意味不明なスローガンに掲げ、首相在任わずか4か月、 食い逃げ解散で総スカンを食い総辞職。 「何にもせん十郎」は当時流行語になった。いやはや何と言ったらいいか。
・ 石川県出身。陸士卒、陸大卒。ドイツに留学。
・ イギリス駐在を経て、国際連盟陸軍代表、陸軍大学校長、近衛師団長などを歴任。
・ 朝鮮軍司令官となり、満州事変勃発に際し、関東軍に呼応して独断で満州に出兵
・ 教育総監兼軍事参議官ののち、統制派に擁立され陸相。
・ 真崎教育総監を罷免し、陸軍内部の対立を激化させ、相沢事件で辞任。
・ 二・二六事件で予備役に編入。
・ 宇垣内閣流産の後、陸軍の支持を受けて首相に就任するが、4か月で総辞職
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/09/21   朝鮮軍、満州へ越境出動 (司令官:林銑十郎/統帥権侵犯)
1932/05/26   斉藤内閣成立 (首相:斉藤実
1932/09/15   満州国承認 (日満議定書調印)
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
1934/01/23   荒木陸相辞任 (後任:林銑十郎
1934/07/03   斉藤内閣総辞職
1934/07/08   岡田内閣成立 (首相:岡田啓介
1935/02/19   天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1935/08/03   政府、国体明徴声明@
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1935/10/15   政府、国体明徴声明A (天皇機関説は国体に背くと明言)
1936/02/26   二・二六事件
1936/02/28   岡田内閣総辞職
1937/01/29   宇垣内閣流産
1937/02/02   林内閣成立 (首相:林銑十郎
1937/03/31   食い逃げ解散 (会期最終日)
1937/05/31   林内閣総辞職
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1943/02/04   林銑十郎
語録 何もかも、のいうた通りになってしまった。何とも申しわけがない。
陸軍大臣林銑十郎大将は風采に似合わぬ凡庸の最たるものである。
大蔵栄一 (元陸軍大尉)
引用林は謹厳実直な人柄で、天皇家には忠誠無比、聖徳太子の十七条憲法を、日本民族最大の遺産、として信奉する人物である。 教育者としてはどうかも知れないが、非常時の宰相としてはあまりにもリアリティを欠いていたようである。 西園寺もこの総理の観念主義には批判する言葉もなく、「ちと古すぎるようですなあ」と興津で眉をひそめていた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。