星 亨
1850 − 1901
[ ほし・とおる ]
逓相、衆議院議長、東京市会議長、弁護士
一覧 (ハ)   
エピソード 1調査中。
・ 東京都出身。左官職人の長男に生まれる。父出奔後、母が再婚、星姓を名のる。
・ 維新後、陸奥宗光に認められ政府に登用される。
・ イギリス公使パークスと争い横浜税関長を解任され、イギリスに留学。
・ 留学中に日本人初の弁護士資格を取得。帰国後、弁護士(司法省付属代言人)第1号となる。
・ 自由党に入党。官吏侮辱罪で服役。三大事件建白運動を推進。出版条例違反などで投獄。
・ 出獄後、衆議院議員となり、次いで衆議院議長となる。
・ 伊藤博文を担いで政友会を結成伊藤内閣Cの逓相に就任。
・ 三多摩壮士を手兵に、東京市会議長となるが、市庁参事会室内で伊庭想太郎に刺殺される。
1894/08/01   清国に宣戦布告 (日清戦争勃発)
1900/09/15   政友会結成 (総裁:伊藤博文
1900/10/19   伊藤内閣C成立 (首相:伊藤博文
1901/06/21   星亨刺殺事件
引用星は江戸の職人の家に生まれたが医師の養子となり英語を学び陸奥宗光の援助で官界に入り、 明治十年以降イギリスに留学し、帰国後代言人(後の弁護士)となり自由党の再編を指導した。 二十五年二月の第二回総選挙で議員に当選し議長になった。
引用参事会議長としての星は無類のやり手で、一、築港問題、二、市教育会の設置、三、交通機関の整備、 等次から次へさばいてゆく凄腕は後の世までの語り草で、翌三十四年六月二十一日伊庭想太郎に暗殺されなければ当然政友会総裁となり、 一度は総理の印綬を帯びたかも知れぬ剛腹果断な鬼才であった。
【中略】
星は松方が憲政党による第二次内閣を組織したとき、アメリカ公使であったのを無断で帰国して、 外相のポストを要求して人を驚かしたことがあり、あくの強い戦闘的な男であったが、 有能な人物であることは多くの人が認めていた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。