磯部 浅一
1905 − 1937
[ いそべ・あさいち ]
「皇道派」青年将校、陸軍一等主計
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エピソード 1調査中。
・ 山口県出身。陸士(38期)卒。陸軍経理学校卒。
・ 早くから北一輝のもとに出入りし「皇道派」青年将校の先駆的存在の一人。
・ 士官学校事件で、村中孝次らとともに、辻政信ら「統制派」の陰謀に陥り逮捕。のち停職処分。
・ 冤罪を訴え続け、村中とともに「粛軍に関する意見書」を作成、配布。これにより免官となる。
・ 真崎教育総監更迭相沢事件ののち、相沢を支援しつつ、活動を活発化される。
・ 二・二六事件に際しては、栗原安秀とともに時期尚早論を抑え、計画を指揮。
・ 獄中で「行動記」「獄中遺書」を書き、決起の正当性を主張。刑死。
1930/04/25   統帥権干犯問題 (犬養毅鳩山一郎が追及)
1931/03/17   三月事件 (陸軍によるクーデター未遂)
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
1933/07/11   神兵隊事件
1933/11/13   埼玉挺身隊事件
1934/01/23   荒木陸相辞任 (後任:林銑十郎
1934/10/01   陸軍パンフレット「国防の本義と其強化の提唱」発行
1934/11/20   士官学校事件
1935/02/19   天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1935/07/11   「粛軍に関する意見書」配布
1935/07/15   真崎教育総監更迭 (後任:「統制派」渡辺錠太郎
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1936/02/26   二・二六事件
1936/02/27   東京に戒厳令
1936/02/29   戒厳司令部、「兵に告ぐ」ラジオ放送
1936/02/29   戒厳部隊、討伐行動開始 (→反乱軍帰順)
1936/03/23   陸軍、二・二六事件関係者の処分と人事異動を発表
1936/07/03   相沢三郎刑死 (相沢事件
1936/07/05   二・二六事件判決 (東京陸軍軍法会議)
語録 一、天皇陛下 陛下の側近は国民を圧する漢奸で一杯でありますゾ。 御気付キ遊バサヌデハ日本が大変になりますゾ、今に大変なことになりますゾ、 二、明治陛下も皇大神宮様も何をして居られるのでありますか、天皇陛下をなぜ御助けなさらぬのですか、 三、日本の神々はどれもこれも皆ねむつて居られるのですか、 この日本の大事をよそにしてゐる程のなまけものなら日本の神様ではない、 磯部菱海はソンナ下らぬナマケ神とは縁を切る、 そんな下らぬ神ならば、日本の天地から追いはらつてしまふのだ、 よくよく菱海の言ふことを胸にきざんでおくがいい、今にみろ、今にみろッ
語録 陛下 日本は天皇の独裁国であつてはなりません、 重臣元老貴族の独裁国であるも断じて許しません、 明治以後の日本は、天皇を政治的中心とした一君と万民との一体的立憲国であります、 もつとワカリ易く申上げると、天皇を政治的中心とせる近代的民主国であります、 左様であらねばならない国体でありますから、何人の独裁も許しません、 然るに今の日本は何と言ふざまでありませうか、 天皇を政治的中心とせる元老、重臣、貴族、軍閥、政党、財界の独裁の独裁国ではありませぬか、 いやいや、よくよく観察するとこの特権階級の独裁政治は、天皇をさへないがしろにしてゐるのでありますぞ、 天皇をローマ法王にして居りますぞ、ロボットにし奉つて彼等が自恣専断を思ふままに続けて居りますぞ
日本国の山々津々の民どもは、この独裁政治の下にあへいでゐるのでありますぞ
陛下 なぜもっと民を御らんになりませぬか、 日本国民の九割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのでありますぞ
磯部さんはちょっとおっちょこちょいみたいなところがあった。
武藤与一 (元士官候補生)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。