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井上 準之助 1869 − 1932
[ いのうえ・じゅんのすけ ]
蔵相、日銀総裁、横浜正金銀行頭取
エピソード 1「泣く子と井上さんには」とまで言われた強気の蔵相は
めちゃめちゃな愛妻家。任地ニューヨークからの手紙はこんなのばっかり。
「夜は家郷のこと思われ寝ること能わず。写真を出してきてキッスし、あるいは子供の写真を見るなど、
2、3時間御身のことのみ考え申し候」
評
井上も銀行を出て民政党に入り政治をやり始めてからは、どうも性格がすっかり変ったと私は思うのです。
銀行をやって居る時分にはむしろ小心翼々として、どっちかというと我々から言えば消極的で弱かったですね。
但し初めから才人ではあった。なかなか頭は冴えて居った。
【中略】 もう少し井上が強くならなければいけないのじゃないかということを、仲間の間では言ったものです。
それが一度政治に入って選挙などをやって、いろいろな人から金を取って、あのやり方になったのです。
随分無理をしてすべてのことを強引にやった。
殊に弗買いに対する政策は無理をして居った。 【中略】 非常に明敏な男だが、弱い人で、
急に何だかばかに強い人のようになって来たのは、あれは結局、そこに押し込まれてそうなったのじゃないかと思うのです。
池田成彬 (元蔵相)
引用井上準之助は大分県出身。
明治二十九年東京帝大を出ると日本銀行に入り、横浜正金銀行頭取を経て日本銀行総裁に転じ、
第一次大戦後の金融対策にたずさわった。
関東大震災の善後処理にも蔵相として努めている。
これらの政策は、おりからの世界恐慌の影響と日本資本主義の弱さから彼の思う通りの成果をあげえず、
国内は空前の不況となり、若槻内閣は、ために崩壊した。
しかし、井上準之助は民政党の筆頭総務となり、選挙対策委員長を兼ね、
当時はさながら副総裁の実力があった。
松本清張 「昭和史発掘(4)」
P.215この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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