石井 菊次郎
1866 − 1945
[ いしい・きくじろう ]
外相、外務次官、駐仏大使、駐米大使、国際連盟理事、ジュネーブ軍縮会議全権
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エピソード 1アメリカ・ポーツマスでの日露講和会議が、 賠償金支払いと樺太割譲の問題で暗礁に乗り上げると、日本政府は無賠償、不割譲やむなしと決定した。 この日の夜、外務省通商局長だった石井は、駐日イギリス大使から電話で呼び出された。 なんだよ、こんな夜遅くに、と不機嫌に大使館に向かった彼の態度は、外務省にもどってきたときには一変していた。 「南半分は助かるぞ」と彼は興奮気味に言った。 「助かる」という表現が、図らずもこのときの石井の気持ち、そして要人たちの気持ちを物語っている。 石井はさっそく元老や閣僚たちをたたき起こしにかかった。
・ 千葉県出身。東京帝大卒業後、外務省入省。
・ 通商局長、次官、駐仏大使を歴任後、大隈内閣Aの外相に就任、日露協約の締結に尽力。
・ アメリカ特派大使として石井・ランシング協定を締結
・ 国際連盟日本代表、同議長、ジュネーブ軍縮会議日本代表などを歴任後退官。
・ 枢密顧問官となり、長老として外交界に重きをなす。
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1912/07/29   明治天皇崩御
1914/04/16   大隈内閣A成立 (首相:大隈重信
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1914/08/23   対独参戦 (宣戦布告)
1914/09/02   青島出兵 (日本軍、山東半島上陸開始)
1915/01/18   対華21ヵ条要求 (外相:加藤高明
1915/07/30   大隈内閣辞表提出
1916/10/05   大隈内閣A総辞職
1917/11/02   石井・ランシング協定
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1920/01/10   国際連盟発足 (日本、理事国として加盟/提唱国アメリカ不参加)
1923/09/01   関東大震災
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/04/13   日ソ中立条約調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。