一木 喜徳郎
1867 − 1944
[ いちき・きとくろう ]
内相、文相、宮内大臣、枢密院議長、内務次官、法制局長官、東大教授
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エピソード 1調査中。
・ 静岡県出身。帝大法科卒業後、内務省入省。
・ ドイツ留学からの帰国後、内務書記官兼任のまま法科大学教授となる。
・ 天皇機関説の立場から国法学を講じた。
・ 貴族院議員に勅選され、法制局長官、内務次官、文相、内相などを歴任。
・ さらに枢密顧問官、枢密院副議長、宮内大臣、枢密院議長となる。
・ 元老重臣グループの一員として重きをなす。
・ 天皇機関説問題で右翼から攻撃され、枢密院議長辞任に追い込まれた。
1901/06/02   桂内閣@成立 (首相:桂太郎
1902/01/30   日英同盟@調印
1904/02/04   御前会議、対露開戦を決定
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1905/12/21   桂内閣@総辞職
1912/12/19   憲政擁護連合大会@ (護憲運動@開始)
1912/12/21   桂内閣B成立 (首相:桂太郎
1913/02/11   桂内閣B総辞職 (大正政変)
1914/04/16   大隈内閣A成立 (首相:大隈重信
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1914/08/23   対独参戦 (宣戦布告)
1914/09/02   青島出兵 (日本軍、山東半島上陸開始)
1915/01/18   対華21ヵ条要求 (外相:加藤高明
1915/07/30   大隈内閣辞表提出
1916/10/05   大隈内閣A総辞職
1935/02/19   天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/04/13   日ソ中立条約調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
引用一木喜徳郎は遠州掛川の豪農の生れだ。 兄は優秀な文部官僚で、のち文部大臣にもなった岡田良平だった。 ともに二宮尊徳の報徳宗信者の一家として知られている。 一木は東京帝大の政治理財科を優等で卒業したが、この理財の知識が彼を「進歩的」にしたといわれている。 卒業してすぐ内務省に入り、六年間内務官僚として実地の行政に活躍したことも、 あるいは若干影響があるかもしれない。
一木は、その間、行政法を研究するためにドイツに渡った。 明治二十七年、内務省をやめ、帝大法科教授となった。 三十三年、法学博士となって、新進の教授として知られた。吉野作造が入学する一年前であった。 帝大では憲法論の解釈として一木と穂積とが対立していたが、学生の人気は一木に集っていた。 のち、穂積の遵奉者となった上杉慎吉でさえ学生時代には、穂積八束を「曲学の徒」と罵って、一木に傾倒したほどだ。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。