チャールズ・L・ケーディス 1906 − 1996
GHQ民政局次長、GHQ民政局行政課長、弁護士 / アメリカ
エピソード 1GHQ内部の左右対立の一方の主役が「占領軍のマッカーシー」、ウイロビーG2部長なら、
もう一方の主役はこの人、ケーディスGS次長だ。ウイロビーはマックから「わが愛するファシスト」と呼ばれていたが、
そのウイロビーはケーディスたちを「ピンカーズ」と陰口していた。
「ピンカーズ」とは、赤がかったやつら、桃色野郎ども、ぐらいの意味。
こんな右と左の寄り合い所帯ではマックもさぞ苦労したことだろう。
ケーディスは、敗戦国の旧華族の奥様と不倫関係にあったから、その意味でも「ピンカー」だった。
引用彼はハーバード大学で法律を学んで弁護士となり、
第二次大戦前は財務省に勤めていたが、開戦後歩兵将校としてヨーロッパ戦線に参戦して中佐となり、
日本降伏の時点では陸軍省民政部に勤務していた。
「マニラにいるマッカーサー元帥から、私のポスであるヒルドリング少将に長い電報が届いた。
日本占領のための幹部要員を送ってくれというもので、詳しい資格要件が書いてあった。
連邦政府で経験があり、ヨーロッパ戦線に参加した者で経歴は大佐以上・・・・・・。
私にはわからないのでそれをソルズベリイ中将に報告したら、お前はその資格要件にピッタリだ、といわれた。
しかし私は中佐ですがというと、じゃいますぐ大佐に昇進させてやろう・・・・・・。
そんなわけで日本に赴任することになったのだ。
当時連邦政府で働いた者といえばF・D・R(ルーズベルト)の政権に決まっている。
ということは、ニューディールの実施にたずさわったということだ。
マッカーサー元帥には私の詳しい経歴を提出したのだから、私についてはすべてを知っていて部下にしたに違いない」
(著者とのインタビュー)。
袖井林二郎 「マッカーサーの二千日」
P.186この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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