閑院宮 載仁
1865 − 1945
[ かんいんのみや・ことひと ]
参謀総長、近衛師団長、第1師団長、元帥陸軍大将
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エピソード 1調査中。
・ 京都府出身。伏見宮邦家親王の第16子。閑院宮家を継承、載仁の名を賜る。
・ 陸軍幼年学校入校後、フランスに留学、騎兵将校としての教育を受ける。
・ 日清、日露戦争に出征。その後、第1、近衛各師団長を歴任。
・ 軍事参議官を経て、荒木陸相により参謀総長に就任
・ が、荒木の期待を裏切り、皇道派を嫌って真崎教育総監更迭の原動力となる。
・ 日中戦争中も留任したが、実権はなかった。終戦の直前に病死。国葬。
1894/08/01   清国に宣戦布告 (日清戦争勃発)
1895/04/14   下関条約調印 (日清戦争終結)
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/12/23   閑院宮載仁親王、参謀総長就任
1935/07/15   真崎教育総監更迭 (後任:「統制派」渡辺錠太郎
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1937/08/13   上海事変A
1938/04/01   国家総動員法公布
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
語録 君達は我輩に真崎を無理やりに押しつけるのか。 わたくしは久しく真崎を次長として使っていてよく知っている。 林大将、貴官はこのさい進んで難局を引き受けてくれたまえ。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。