幸徳 秋水 1871 − 1911
[ こうとく・しゅうすい ]
社会主義者、「平民新聞」「万朝報」記者
エピソード 1社会主義者も恋はする。
赤旗事件で荒畑寒村が逮捕されたその留守中に、荒畑の妻、管野スガと幸徳はできてしまった。
そこまでなら、ありがちな話だが、管野が天皇暗殺を計画していたからさあ大変。
事件が発覚すると、証拠があろうがなかろうが、社会主義者ならとにかく捕まえて死刑にしてしまえ、と意気込む当局に逮捕され、
死刑になってしまった。後年の研究で、幸徳が計画に参加していなかったことがほぼ確認されている。
とんでもない恋をしてしまったもんだ。
引用幸徳秋水(伝次郎)は明治四年高知県西南端に近い中村に生まれ、大阪で中江兆民の学僕となり、
唯物論の洗礼を受けた。
自由新聞、中央新聞の記者を経て明治三十年五月十八日社会問題研究会に入り、熱心な社会主義者となった。
明治三十四年片山潜、木下尚江、安部磯雄らと共に社会民主党の結成に参加し、
(二日後結社禁止) 【中略】 日露戦争直前まで万朝報にあって非戦論を唱えていた。
戦争後渡米してアナーキズムに傾き、三十九年帰国後、日本社会党第二回大会(四十年二月)で「直接行動論」唱えて以来アナーキズムを指導し、
過激派の中心として官憲から睨まれ、四十三年(一九一〇)六月逮捕された。
豊田穣 「西園寺公望(上)」
P.404この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
|