小林 多喜二
1903 − 1933
[ こばやし・たきじ ]
小説家、プロレタリア作家同盟書記長
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エピソード 1調査中。
・ 秋田県の没落農家に生まれ、幼くして一家は伯父を頼って小樽市へ移住。
・ 伯父の援助で小樽商業学校、小樽高等商業学校を卒業、北海道拓殖銀行に勤務。
・ 労農芸術家連盟に参加。
・ 三・一五事件に取材した「一九二八年三月十五日」で一躍注目を浴びる。
・ 「蟹工船」「不在地主」を発表、左翼文学の最前衛となるも、拓銀を解雇され上京。
・ 「工場細胞」発表直後に治安維持法違反容疑で逮捕される。
・ 出獄後、日本プロレタリア作家同盟書記長。
・ 共産党に入党後は日本プロレタリア文化連盟の結成に尽力。
・ 再逮捕後、特高警察により拷問を受け惨殺される
1923/09/01   関東大震災
1925/04/22   治安維持法公布
1928/03/15   三・一五事件 (共産党関係者一斉検挙)
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1933/02/20   小林多喜二、拷問死 (築地署/当局、死体解剖を妨害)
引用小林多喜二の履歴は、手塚英孝の「小林多喜二」が最も詳しい。 いま、これに従って、まず多喜二の生涯をざっと書いてみる。
小林多喜二は明治三十六年(一九〇三)に秋田県北秋田郡下川沿村川口で生れた。 ここは青森県境に近く、大館盆地の中心地大館市にも近い。 秋田から青森へ通じる羽州街道に沿った小部落であった。
多喜二は母が三十歳の年に生れた。父と、二人の兄姉と、継祖母との六人暮しだった。
父は明治二十六年ごろに工事のはじまった鉄道のトロッコ押しなどをしていたが、 このへんは貧農が多く、たびたびの冷害や凶作につぶされて北海道へ永住する農民が多かった。 やがて多喜二の一家も、先に小樽に渡ってパンの製造で当てた伯父を頼って郷土を引きあげ、小樽に移住した。 多喜二もパン工場で働きながら、この伯父の補助で小樽商業、小樽高商と進んだ、小樽高商に入学したのが大正十年であった。
小樽高商に入学したのを機会に彼は伯父の家を出て若竹町の自宅から通学した。 両親はパンの小売をつづけていたが、家族の生活は豊かではなかった。 姉は農産物検査所に勤め、すぐ下の妹は運送店で働き、弟はまだ小学校に通い、末の妹は幼かった。 もちろん、多喜二の学資は伯父の補助によった。
多喜二は二学年に進むと、高浜虚子の長男年尾と校友会誌の編集委員となった。 彼はその年から第二外国語にフランス語を択んだ。 しかし、一方、彼の家では小学校を卒業した弟が上の学校に入学する学資もなく、市内の洋品店に小僧奉公に住みこんだ。
多喜二は、兄が死んだので、小林家の相続者ということで伯父の特別な援助を受けて高商に入れたのだが、 ほかの姉弟の境遇はみじめであった。これが多喜二に絶えず苦痛を与えた。
このころ、彼は「小説倶楽部」や「新興文学」に小説の投稿をつづけた。 この「新興文学」は山田清三郎が編集実務者だった関係で「種蒔く人」とかなり深いつながりがあった。 彼はそこに投稿をつづけていたが、そのうち二つの短編が創作欄に載ってかなり注目された。
小樽高商には教師の大熊信行がいて、多喜二は彼と最も親しくなった。 多喜二が教壇の机の傍で大熊と話しこんでいることがたびたびだったとは、 同じ小樽高商で多喜二の後輩伊藤整の思い出である。
【中略】
多喜二は高商の一学年に在学のころから志賀直哉の作品を熱心に学びはじめていたが、 のちには直接志賀に宛てて手紙を書くようになり、自作を送って批評を求めた。 当時志賀直哉は山科に住んでいたが、多喜二は志賀に直接原稿を送ることはなく、 必ず校友会誌などに発表した作品を送って批評を求めた。 志賀からはときどき返信があったが、その批評はかなりきびしかったという。 多喜二はとくに志賀の初期の作品を学んだ。
小樽高商を大正十三年の春に卒業した多喜二は北海道拓殖銀行に勤務した。 本俸七十円で、小樽支店勤務に決った。 彼は小樽支店に勤めはじめた月に同人雑誌「クラルテ」を発行した。 この雑誌では、アンリ・バルビュスの「クラルテ」の文章を引用してその扉を飾ったが、同人は彼のほか五、六名だった。
【中略】
銀行にいる間も多喜二は休み時間に本を読み、仕事の合間に紙片に原稿を書いた。 彼がそんなことをしていることは次第に銀行内に知れ渡ったが、銀行員としてもすぐれていたし、 同僚との会合にもこころよく出ていたから、あまり異端視されることはなかった。 彼はそのころストリンドベルヒに次いで一貫してドストエフスキーの作品を読んでいた。
彼はそれまで約三十篇の習作的な短篇を書いていた。 初期の作品には学生生活や恋愛をテーマにした幼稚なものもあったが、 貧しい不幸な人への共感が次第に一種の正義感となり、それが社会的矛盾に向ける眼となった。 この間、彼は田口たきという酌婦と恋愛し、彼女をその苦境から救い出したりしているが、 この田口たきの境涯が彼の作風移行にかなりな影響をもたらしたと思われる。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。