武藤 章
1892 − 1948
[ むとう・あきら ]
陸軍省軍務局長、第14方面軍参謀長、陸軍中将、A級戦犯
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エピソード 1調査中。
・ 熊本県出身。陸士卒。陸大卒。
・ ドイツ駐在のあと、教育総監部勤務。
・ 二・二六事件後の「粛軍」で頭角を現し、関東軍参謀に転出、謀略部隊の組織などに奔走。
・ 参謀本部作戦課長として、盧溝橋事件では強硬論を主張。
・ 中支方面軍参謀副長になり南京攻略を指導。
・ 陸軍省軍務局長として、陸軍中枢で太平洋戦争を迎える。のち近衛師団長。
・ 戦後、A級戦犯として東京裁判で「絞首刑」の判決刑死
1931/03/17   三月事件 (陸軍によるクーデター未遂)
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
1934/10/01   陸軍パンフレット「国防の本義と其強化の提唱」発行
1935/07/15   真崎教育総監更迭 (後任:「統制派」渡辺錠太郎
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1936/02/26   二・二六事件
1936/03/23   陸軍、二・二六事件関係者の処分と人事異動を発表
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1937/12/13   南京占領
1937/12/13   南京虐殺事件
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1940/10/12   大政翼賛会発足
1941/04/13   日ソ中立条約調印
1941/04/16   日米交渉開始
1941/07/02   御前会議、「南進」「北進準備」を決定
1941/07/02   大本営、「関特演」発動
1941/07/28   南部仏印進駐
1941/08/01   アメリカ、対日石油輸出禁止
1941/09/06   御前会議、対米開戦を決意 (「帝国国策遂行要領」決定)
1941/10/18   東條内閣成立 (首相:東條英機
1941/12/01   御前会議、対米開戦決定
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1942/04/19   武藤軍務局長更迭
1944/10/20   アメリカ軍、レイテ島(フィリピン)上陸
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
1948/12/23   東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行
語録 二度と生きて会える日はあるまい。東条は満身創痍でたおれるだろうが、しかし最後にこの戦争が敗勢濃くなったとき、 収拾をするのは結局陸軍だろうと思う。それが運命だ
語録 千代子の涙をたたえた大きな目、「二十五年間幸福に暮らさして戴きました」と云う初子の言葉、 「一生涯よく国家にお尽し下さいましたことについて、私からもお礼を申上げます」と云う尾野の母上の伝言・・・・・・。 戦争に無一物になって、明日の生活にも困るこれらの憐れな人々を残して、私は死なねばならぬ。
引用昼食の時間が来た。 閣下たちは三々五々、歩いて来た。 だがその日には、いつもと違った一人の新顔が見えた。 その人は、米軍のジャングル戦用迷彩服を着ており、それが奇妙によく似合った。 彼は、あたかも収容所も鉄柵も軽蔑するかの如く傲然と見下し、それらの一切を無視するかの如く、 堂々と歩いてくる。 その態度は、終戦前の帝国軍人のそれと、寸分違わなかった。
丸い眼鏡、丸刈りの頭、ぐっとひいた顎、ちょっと突き出た、つっかかるような口許、 体中にみなぎる一種の緊張感―「彼だな」私はすぐに気づいた。 それは第十四方面軍参謀長武藤章中将その人であった。 そして彼の姿と同時に、反射的に四つの言葉がよみがえった。
「統帥権、臨時軍事費、軍の実力者、軍の名誉(日本の名誉ではない)」。 軍部ファシズムをその実施面で支えたものは何かと問われれば、私はこの四つをあげる。 そして私にとってこの四つを一身に具えた体現者は彼であった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。