松井 石根
1878 − 1948
[ まつい・いわね ]
中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官、ハルピン特務機関長、陸軍大将、A級戦犯
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エピソード 1調査中。
・ 愛知県出身。陸士卒。陸大卒。陸大在学中に日露戦争に従軍。
・ その後、中国に駐在中は、国民党の袁世凱打倒に協力。
・ いったんは予備役に編入されるも、日中戦争が起こり現役に復帰。
・ 上海派遣軍司令官、次いで中支那方面軍司令官に就任、首都南京を攻略し復員。
・ 戦後、A級戦犯として南京大虐殺の責任を問われ、東京裁判で「絞首刑」の判決刑死
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1937/12/13   南京占領
1937/12/13   南京虐殺事件
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/11/19   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令A (小磯松岡ら11人)
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
1948/12/23   東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行
語録 昨二十一日夜、マッカーサー元帥の命令により、明二十三日午前零時当監獄内において絞首刑執行の旨、 宣告せらる。かねて期せしところなれば、何ら驚くところなく、謹聴せり。 余は武家に生れ、家職をついで陸軍武官となり、累進、大将に進み、正三位に叙せらる。 更に勲一等功一級の栄勲を辱うし、一身の光栄にして、切に皇恩の無窮に感激しあり。 今南京虐殺事件の犠牲となり、この責任を負つて連合軍の処刑に付せらる。 いわんや余は先に上海、南京の戦いに多数の日華両国軍民を失いしものなれば、その責任上、 あま多の英霊のあとを追つて殉ずることは当然なり。
太平洋戦争は直接余の責任の外にあれども、これまた日華事変の延長と見るべく、 余の地位、経歴上責任を免がるべきに非ず。今や敗戦日本の醜態を暴露せることに関し、 責任を自覚し、一死、謝することは、又自然なりというべし。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。