森 恪 1882 − 1932
[ もり・かく(つとむ) ]
内閣書記官長、外務政務次官、政友会幹事長、三井物産天津支店長
エピソード 1調査中。
引用かれは明治十六年大阪市に生れ、
父にともなわれて上京、慶応幼稚舎に入り、卒業後は再び大阪に帰って、中学を卒業後、
十九歳のとき三井物産上海支店に入社、中国に渡った。
二十八歳でニューヨーク支店長室付となったが、再び東京に呼び戻され、海軍大将瓜生外吉の三女と結婚している。
爾来、三井物産の上海勤務として孫文と折衝したり、三井のために中国の鉱山を買取ったりしている。
森は、その後、野党時代の政友会幹事長となり、犬養内閣には「大」書記官長であった。
森はまた田中内閣以来荒木とは親交関係があり、荒木を犬養内閣の陸相にしたのは森であった。
また小磯国昭とも森はよかった。
「陸軍はもちろん、海軍、右翼方面、その他あらゆる方面に森の触手は伸びていた。
かくのごとくにして森の地位は一個の内閣書記官長を遥かに飛躍して、
むしろ副総理としての実質を備えていたのである」(山浦貫一「森恪」)
しかし、その後、森は、内閣改造問題その他で犬養と心が離れている。
彼は、犬養内閣を倒して、そのあとに平沼内閣の擁立運動を考えていた。
森は犬養の外交政策に慊らず、徹底的に軍部色の内閣の出現を望んでいた。
松本清張 「昭和史発掘(4)」
P.303この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「森格」は表記に誤りがあります。 |