森 恪
1882 − 1932
[ もり・かく(つとむ) ]
内閣書記官長、外務政務次官、政友会幹事長、三井物産天津支店長
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エピソード 1調査中。
・ 大阪府出身。東京商工中学校卒業。
・ 三井物産支那修業生を経て同社上海支店員となる。
・ 支店長山本条太郎に重用され、孫文との提携、中国興業の設立に活躍。のち天津支店長。
・ 三井物産退社後、衆議院議員。政友会所属。
・ 田中(義)内閣の外務政務次官となり、東方会議を主宰するなど事実上外相の役を務めた。
・ 軍部と結んで積極的な侵略政策を推進、民政党の幣原外交を攻撃。
・ 政党の没落とファシズムの台頭に大きな役割を果たす。
・ 犬養内閣では書記官長に就任。その後、急死。
1927/05/28   山東出兵@
1927/06/27   東方会議開催 (対中政策決定)
1928/04/19   山東出兵A
1928/05/03   済南事件
1928/05/08   山東出兵B
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/12/13   犬養内閣成立 (首相:犬養毅
1932/01/28   上海事変@勃発
1932/03/01   満州国建国宣言
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1932/05/16   犬養内閣総辞職
1932/12/11   森恪
引用かれは明治十六年大阪市に生れ、 父にともなわれて上京、慶応幼稚舎に入り、卒業後は再び大阪に帰って、中学を卒業後、 十九歳のとき三井物産上海支店に入社、中国に渡った。 二十八歳でニューヨーク支店長室付となったが、再び東京に呼び戻され、海軍大将瓜生外吉の三女と結婚している。 爾来、三井物産の上海勤務として孫文と折衝したり、三井のために中国の鉱山を買取ったりしている。
同じく三井出身の山本条太郎とともに「支那通」として知られ、代議士となり、 政友会に入ってからは田中と知り、爾来、田中の対支政策の参謀格となった。 昭和二年には、山本条太郎、松岡洋右などと一緒に政友会代表として武漢政府視察などしている。
引用森は田中義一内閣の外務政務次官だったが、 張作霖爆死後、田中の関東軍奉天移駐抑止策に反対して田中とは訣別した。(「満洲某重大事件」参照) 以後、彼は陸軍部内の大陸拡張派と結んできた。
森は、その後、野党時代の政友会幹事長となり、犬養内閣には「大」書記官長であった。 森はまた田中内閣以来荒木とは親交関係があり、荒木犬養内閣の陸相にしたのは森であった。 また小磯国昭とも森はよかった。
「陸軍はもちろん、海軍、右翼方面、その他あらゆる方面に森の触手は伸びていた。 かくのごとくにして森の地位は一個の内閣書記官長を遥かに飛躍して、 むしろ副総理としての実質を備えていたのである」(山浦貫一「森恪」)
また、満州事変後日本が国際連盟を脱退したのも森の推進で、陸軍の鈴木貞一、 外務省の白鳥敏夫とともに謀ったことだった。
しかし、その後、森は、内閣改造問題その他で犬養と心が離れている。 彼は、犬養内閣を倒して、そのあとに平沼内閣の擁立運動を考えていた。 森は犬養の外交政策に慊らず、徹底的に軍部色の内閣の出現を望んでいた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「森格」は表記に誤りがあります。