牧野 伸顕
1861 − 1949
[ まきの・のぶあき ]
外相、農商務相、文相、内大臣、宮内大臣、パリ講和会議全権、大久保利通の次男、吉田茂の義父
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エピソード 1調査中。
・ 鹿児島県出身。大久保利通の次男。牧野家を継ぐ。
・ 岩倉使節に父に同行し、アメリカに留学。外務省書記生としてロンドンに在勤。
・ 帰国後、福井・茨城両県知事、文部次官、オーストリア公使、イタリア公使などを歴任。
・ 西園寺内閣@の文相として初入閣。
・ 枢密顧問官、西園寺内閣Aの農商務相、山本内閣@の外相、臨時外交調査委員を歴任。
・ パリ講和会議全権としてベルサイユ条約に調印
・ 以後、宮内大臣、内大臣として君側に侍す。
・ 親英米派の中心人物で、二・二六事件の際襲撃されたが、難を免れた。
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1906/01/07   西園寺内閣@成立 (首相:西園寺公望
1906/11/26   南満州鉄道株式会社(満鉄)設立 (総裁:後藤新平
1907/07/24   日韓協約B調印
1907/07/30   日露協約@調印
1908/07/04   西園寺内閣@総辞職
1911/08/30   西園寺内閣A成立 (首相:西園寺公望
1912/07/29   明治天皇崩御
1912/12/05   西園寺内閣A総辞職
1913/02/20   山本内閣@成立 (首相:山本権兵衛
1913/06/13   軍部大臣現役武官制廃止
1913/06/13   政府、行政整理案発表 (官吏6428人を整理)
1914/03/24   山本内閣@総辞職
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1919/01/18   パリ講和会議開催 (〜06/28/首席全権:西園寺公望
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
引用牧野伸顕は維新の元勲大久保利通の次男で、悠然としてエレガントな人柄が西園寺の気に入り、 後にも共に重臣として親しく国政に干与し、共に右翼過激派から狙われるようになる。 牧野は外務省をふりだしに、参事院議官補、総理秘書官、福井県知事、文部次官、イタリア大使、オーストリア大使を経て文相となったもの。 パリ講和会議(一九一九)では西園寺と共に全権、後内大臣、宮内大臣を歴任。 二・二六事件では宿泊先の旅館を焼かれた。
引用牧野伸顕は、大久保利通の二男として鹿児島県に生まれた。 明治四年には岩倉具視一行についてアメリカに留学し、十一年、外務省書記生となってロンドンに在勤した。 そのころ憲法調査のためイギリスにきた伊藤博文の知遇をうけたが、 もちろん、大久保利通の倅というところで伊藤が特別に目をかけたのであろう。 いうまでもなく、伊藤は大久保利通に薫陶され、大久保亡きあとはその衣鉢を継いだ第一人者だ。
帰国後、福井、茨城県知事などを経て、文部次官、オーストリア、イタリア公使などをしていたが、 明治三十九年、第一次西園寺内閣の文部大臣となった。
その後は枢密顧問官となり、また第二次西園寺内閣では農商務相となり、 山本権兵衛内閣の外相であった。 パリ講和会議には西園寺とともに全権となって現地に赴いている。 大正十年、宮内大臣となり、十四年に内大臣となった。
こうした履歴でも分る通り、牧野は宮中にも外務省にも欝然たる勢力を張り、 また政党と官僚の媒体者でもあった。 なお、吉田茂はその女婿である。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「牧野伸彰」「牧野信顕」は表記に誤りがあります。