正岡 子規
1867 − 1902
[ まさおか・しき ]
俳人、歌人、随筆家
一覧 (マ) 本を入手司馬遼太郎著
エピソード 1調査中。
・ 愛媛県出身。少年期から漢詩、和歌、俳句を試みる。
・ 松山中学を経て東京の大学予備門(のちの一高)に入学。
・ 一高から東大に進み、夏目漱石との交友を通して、小説への関心を高める。
・ 小説「月の都」を書き幸田露伴に見せるも評価を得られず、俳句に専念することを決意。
・ 新聞「日本」に「獺祭書屋俳話」を連載。
・ 東大を中退し、陸羯南の日本新聞社に入社。以後、羯南の庇護を受ける。
・ 日清戦争に記者として従軍、帰途、喀血し、これ以降闘病生活を続ける。
・ 俳句は、写生の重要性を説き、蕪村の絵画的で自在な句境を評価、月並や理屈を排す。
・ のち和歌の革新に乗り出し、「歌よみに与ふる書」を発表、旧派の歌人を攻撃した。
・ 俳句は主に「日本」「ホトトギス」で発表、高浜虚子らに受け継がれる。
・ 短歌は「アララギ」の伊藤左千夫らに継承された。
1867/11/10   大政奉還 (慶応03年10月15日)
1894/08/01   清国に宣戦布告 (日清戦争勃発)
1895/04/14   下関条約調印 (日清戦争終結)
1895/04/23   三国干渉 (独・仏・露3国公使、遼東半島の清国への返還を勧告)
1902/01/30   日英同盟@調印
1902/09/19   正岡子規病死
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。