野口 英世
1876 − 1928
[ のぐち・ひでよ ]
細菌学者、ロックフェラー医学研究所所員、ペンシルベニア大病理学助手、伝染病研究所助手
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エピソード 1調査中。
・ 福島県出身。
・ 高等小学校卒業後、会津若松の渡部鼎の医院の書生となり、医学と外国語を習得。
・ 上京後、医術開業後期試験に合格。
・ 大日本私立衛生会伝染病研究所助手に採用され、細菌学の道に入る。
・ 渡米し、ペンシルベニア大のフレクスナーの助手となり、ヘビ毒を研究。
・ ロックフェラー研究所に入所。梅毒病原スピロヘータの純培養に成功。
・ 京都帝大から医学博士を得る。また、帝国学士院恩賜賞を受賞。
・ 15年ぶりの帰国後、黄熱研究のためにアフリカに赴き、ガーナのアクラで黄熱により死亡。
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1912/07/29   明治天皇崩御
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1923/09/01   関東大震災
1928/05/21   野口英世没 (ガーナ)
引用野口英世は福島県翁島村(今の猪苗代町)の極貧の農家に生まれた。 父親は生活力がなく、母親シカによって育てられたといってよい。 二歳のとき、火のもえているいろりにはまり、左手を大やけどした。 生まれたときから苦しみだけを背負っているようであった。
はじめ開業医をめざしたが、やがて細菌学研究にすすもうと考えた。 しかし、日本での出世には限りがあると思い、二十四歳のとき、実力をとうとぶアメリカにあこがれて、 フィラデルフィアに渡った。
以後、英世は注目をあびる研究成果を発表した。 へびの毒の研究、梅毒の研究などで世界的学者になり、少年時代からの悲しみを振りはらうことができた。
ノーベル賞候補のうわさが伝わり、ドイツ医学会で尊敬されていることが知れると、 日本もようやく英世を見なおすようになり、帝国学士院恩賜賞をあたえ、勲四等をおくった。 それでもなお、英世は、世界の研究者の道を歩み続けた。 その最後の研究が黄熱病であった。 そして、自らこの病気に感染してアフリカで死んだ。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。