野口 英世 1876 − 1928
[ のぐち・ひでよ ]
細菌学者、ロックフェラー医学研究所所員、ペンシルベニア大病理学助手、伝染病研究所助手
エピソード 1調査中。
引用野口英世は福島県翁島村(今の猪苗代町)の極貧の農家に生まれた。
父親は生活力がなく、母親シカによって育てられたといってよい。
二歳のとき、火のもえているいろりにはまり、左手を大やけどした。
生まれたときから苦しみだけを背負っているようであった。
はじめ開業医をめざしたが、やがて細菌学研究にすすもうと考えた。
しかし、日本での出世には限りがあると思い、二十四歳のとき、実力をとうとぶアメリカにあこがれて、
フィラデルフィアに渡った。
以後、英世は注目をあびる研究成果を発表した。
へびの毒の研究、梅毒の研究などで世界的学者になり、少年時代からの悲しみを振りはらうことができた。
ノーベル賞候補のうわさが伝わり、ドイツ医学会で尊敬されていることが知れると、
日本もようやく英世を見なおすようになり、帝国学士院恩賜賞をあたえ、勲四等をおくった。
それでもなお、英世は、世界の研究者の道を歩み続けた。
その最後の研究が黄熱病であった。
そして、自らこの病気に感染してアフリカで死んだ。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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