西田 税
1901 − 1937
[ にしだ・みつぎ ]
国家主義者、陸軍少尉
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エピソード 1調査中。
・ 鳥取県の仏具屋の家に生まれる。
・ 陸士在学中、大アジア主義の影響を受け、さらに北一輝に傾倒する。
・ 陸士同期の秩父宮雍仁には国家改造の必要を説く。
・ 卒業後、騎兵少尉に任官するも、病気のため退官。北一輝の門下となる。
・ 五・一五事件計画中、陸軍青年将校の参加を拒んでスパイ視され、撃たれ瀕死の重傷を負う
・ 二・二六事件に連座し、とともに銃殺に処せられる。
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1932/05/15   西田税暗殺未遂事件
1935/07/15   真崎教育総監更迭 (後任:「統制派」渡辺錠太郎
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1937/08/14   東京陸軍軍法会議で、北一輝、西田税に死刑を宣告 (二・二六事件)
私は激越な文調や内容はともかくとして「全国の同志左の如し」と名簿をつけて全国の連隊に配った西田税の軽薄さに失望した。 たとえその同志というのが、大した意味のないものにしても、 隠密であるべき連判状まがいのものをガリ版ずりにしてくばる馬鹿があってよいものではない。
末松太平 (元陸軍大尉)
引用西田税は大正四年に広島地方幼年学校に入学して陸軍騎兵少尉となったのだが、 北一輝と交わるようになり、の「日本改造法案大綱」をよんで、これに深く共鳴した。 大正十四年ごろ軍職を退き、革新運動に従事するため上京し、大川の行地社に入り、 国家革新運動に専念した。 西田は士官学校在校当時優秀な頭脳をもって校内に鳴り、信望を集めていたといわれる。 彼が隊付将校に深くむすんでいたのは、そうした前歴からである。
大川北一輝とが行地社の内紛によって絶縁すると、【中略】 西田も大川と縁をきってのもとに走っている。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。