永野 修身 1880 − 1947
[ ながの・おさみ ]
海相、軍令部総長、連合艦隊司令長官、ジュネーブ・ロンドン軍縮会議全権、元帥海軍大将
エピソード 1若い頃、本気で清水次郎長に弟子入りしようとした永野は、義侠心が篤く、
同僚のピンチには見て見ぬふりができぬ人。1941年9月5日もそうだった。
運命の御前会議を翌日に控えて心配を抑えられない昭和天皇が陸海軍の両総長を呼んだ。永野と参謀総長の杉山をだ。
天皇は、日米戦争の勝算について、杉山にきびしいつっこみを入れ、杉山は返事に窮する。得意のたとえ話で助け舟を出したのが永野だ。
日米関係を重病人にたとえ、手術しなくてすめばそれに越したことはないが、手術すれば助かる見込みも出てくると答えた。
手術とは戦争のたとえだ。この翌日、日米戦争へのタイムスケジュールが決定した。
永野が答えるべきは手術の成功率だっただろう。ああ、たとえ話。ああ、義侠心。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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