野坂 参三
1892 − 1993
[ のさか・さんぞう ]
日本共産党議長、同第一書記、同名誉議長、衆議院議員、参議院議員
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エピソード 1調査中。
・ 山口県出身。慶応大学在学中に友愛会に入り、卒業後、常任書記。
・ 友愛会の派遣で渡英、イギリス共産党創立とともに入党。
・ 帰国後、総同盟顧問。日本共産党入党。
・ 共産党事件で検挙、三・一五事件で検挙・投獄され、のち病気のため仮釈放。党中央委員。
・ コミンテルン日本代表として訪ソし活動。
・ 中国、延安に赴き、「岡野進」の名で日本人民解放連盟などで活動。
・ 戦後帰国。帰国歓迎大会で民主戦線の結成を提唱する。
・ 再建された日本共産党を指導。「逆コース」で公職追放されるまで衆議院議員。
・ 非合法活動を経て六全協で党第一書記。参議院議員。のち党議長。
1922/07/15   日本共産党結成 (委員長:堺利彦/秘密結社)
1923/06/05   共産党事件 (堺利彦ら検挙)
1923/09/01   関東大震災
1928/03/15   三・一五事件 (共産党関係者一斉検挙)
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1932/01/28   上海事変@勃発
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1937/08/13   上海事変A
1937/09/23   国共合作A成立
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/12/01   徳田球一、共産党書記長就任 (共産党再建大会)
1947/01/18   全官公庁労組共闘委員会、「2・1ゼネスト」を宣言
1947/01/31   マッカーサー、「2・1ゼネスト」中止を命令
1950/01/06   コミンフォルム機関紙、野坂参三の平和革命論を批判
1950/01/19   日本共産党、「コミンフォルム機関紙の論評に関する決議」採択
1950/02/06   野坂参三自己批判 (「右翼日和見主義的誤りを犯した」)
1950/06/06   マッカーサー、吉田首相宛書簡で共産党幹部24人の公職追放を指令
1950/06/25   朝鮮戦争勃発
引用組織的な和平運動は、亡命した共産主義者によって海外においてのみおこなわれていた。 中国の戦線で日本の兵士によびかけ、捕虜の組織化をくわだてていた岡野進(野坂参三)や鹿地亘の活動は、 その代表的なものであり、とりわけ岡野進の活動は、彼が提示した和平と改革の綱領のゆえにきわだっていた。
野坂参三は、一九一七年に慶応大学を卒業して友愛会の書記となり、一九年にイギリスに留学、 二〇年にイギリス共産党に入党し、二一年にイギリス官憲から国外追放の命をうけ、 二二年に帰国して日本共産党の党員となり、二八年に三・一五事件に連座して検挙され、 三〇年に眼病をわずらって神戸で入院し、三一年に日本をずらかってモスクワに入り、 岡野進の名をもってコミンテルンで活躍し、そして一九四〇年の春、延安に潜入した。 彼は、華北の日本軍にたいする心理戦争を指導し、一九四〇年一〇月に日本工農学校を設立して捕虜を教育し、 鹿地亘が一九三九年にはじめて組織してから各地に結成されていた反戦同盟に卒業生をおくりこみ、 その反戦活動を次第に日本再建のための活動と統合させていった。 反戦同盟は、一九四四年一月、その任務と活動の拡大に応じて名称を日本人民解放同盟とあらためた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。