永田 鉄山
1884 − 1935
[ ながた・てつざん ]
陸軍省軍務局長、参謀本部第二部長、陸軍省軍事課長、陸軍中将(死後)
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エピソード 1調査中。
・ 長野県出身。陸士卒、陸大卒。
・ ドイツ、デンマークなどに駐在。小畑、岡村、東條バーデン・バーデンの密約を結ぶ。
・ 満州事変後、盟友小畑ら皇道派と対立。
・ 陸軍軍務局長に就任、統制派の中心人物として国家総力戦体制の構築をめざす。
・ 軍務局長室で執務中、真崎教育総監更迭の首謀者として相沢中佐斬殺される
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1921/10/27   バーデン・バーデンの密約
1925/04/13   陸軍現役将校学校配属令公布
1925/05/01   陸軍軍縮計画(宇垣軍縮)発表
1928/06/04   満州某重大事件 (張作霖爆殺)
1929/05/19   一夕会結成
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
1934/10/01   陸軍パンフレット「国防の本義と其強化の提唱」発行
1935/02/19   天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1935/07/11   「粛軍に関する意見書」配布
1935/07/15   真崎教育総監更迭 (後任:「統制派」渡辺錠太郎
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1936/02/26   二・二六事件
語録 いたずらに独善猪突するは、現在日本の実情がこれを許さぬばかりでなく、 八紘一宇の大理想を顕現するになんらの意味もなさないのみか、非常なる障碍となる。
語録 近世物質的威力の進歩の程度が理解出来ず、青竜刀式頭脳、まだ残って居ること、 及び過度に日本人の国民性を自負する過誤に陥って居る者の多いことが危険なり。
国が貧乏にして思う丈の事が出来ず、理想の改造の出来ないのが欧米と日本との国情の差中最大のものなるべし、 此の欠陥を糊塗するため粉飾する為に、まけ惜しみの抽象的文句を列べて気勢をつけるは、 止むを得ぬ事ながら、之を実際の事と思い誤るが如きは大いに注意を要す。
語録 国家総動員とは、有事の際に国家社会の全部を挙げて、平時の態勢から戦時の態勢に移り、 そうして、国家が利用しうる有形無形、人的物的のあらゆる資源を組織し統合し運用いたしまして、 最大の国力的戦争力を発揮する事業である。
三度の会談を通じて残っている印象は鮮明なものがあり、永田の時代から終戦に至るまでの間、 陸海軍をあわせて私が知った将校は無数だが、インテリらしく、いかにも才物らしい鋭さを示したものは稀で、 この点では、彼に師事した武藤などまだ及ばずの感が深い。 永田が軍務局長として鮮満視察から帰ったあと相沢殺される十数日前だったが、 一夜会食した席上で、私が視察談を求めたのに答えて、これは極く内密の話であり私見にとどまるがと前置きして、 関東軍の満州国に対する内面指導は早く打切る必要があり、 また朝鮮は軍備と外交とを除き、国内自治を許す方向にもって行く必要を痛感したと語ったのである。 永田によれば、満州国に対する政治的内面指導は、満州国の育成上必要として考えられたものであるが、 視察の結果は、満州国創成の意義を理解せざる俗物軍人や、この軍人を利用する一儲け主義の民間人のため、 悪用される危険が高まりつつあり、むしろ早きに打ち切って、満州国の自立を助けることこそ賢明と考えたらしい。 また朝鮮の内政自治は、満州その他に朝鮮人が日鮮両国名を悪用し使い分けて、種々の弊害を叢生させていることや、 日本国内に及ぼしている様々の弊風から考えて、自治こそ賢明得策とし、満州国とともに将来は独立も考えたらよく、 そして日満鮮の間に同盟で結合させる方策こそ考究すべしというにあったように思う。 私はこの話を聞きながら、軍人と話しているというよりも、大学教授と語っているような気がしたし、 静かに落ちついて説く彼に、ありふれた軍人などのもたぬ卓見を聞いたのである。 今でこそこんな見解は何でもないようなものだが、当時としては政界人でもここまでは、 個人の意見としても言い切れなかった識見であったのだ。
矢次一夫 (国策研究会設立者)
秀才永田鉄山の名は、その特有な名前と共に、佐官時代からすでに陸軍部内に売れていた。 将来の陸軍大臣、これは衆目のひとしく認めたところである。 連隊長ともなれば馘首を恐れて、消極或は事なかれ主義に陥るものがあるが、 自信のあるかれはあくまで積極的であった。
新井勲 (元陸軍中尉)
引用永田は一局長ではありながら、その政治的器量と存在感は、 昭和陸軍史上、宇垣一成以来といえる。 ただ、永田には宇垣のような巧みな権謀術策はない。 徹底した真正面攻撃型であり、「合理適正居士」の渾名が示す通り、きわめて現実主義で、 割り切りは早く強引である。
引用現在の中学や高校でもそうだが、たまに「超」の字のつくほど凄い秀才がいる。 そんな生徒に限って、大して勉強しなくてもよく出来る。 友達つき合いもいい。畏敬もされるが、嫉まれもする。 永田鉄山は、その手の超秀才だったようだ。
【中略】
真面目で知性的で、現実的な合理主義の一面があり、馴れ合いの徒党を組むことを嫌い、 孤高の感じもあったが、酒も女も好き。器の大きさを感じさせたという。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。