大西 瀧治郎
1891 − 1945
[ おおにし・たきじろう ]
軍令部次長、第1航空艦隊司令長官、海軍中将
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エピソード 1大西は「特攻の父」とか「特攻生みの親」といわれる人物だ。 不屈の闘将であると同時になかなかの人格者でもあったらしい。 ところが、終戦直前、彼の精神は変調をきたす。 広島長崎への原爆投下ソ連の参戦で、もはやポツダム宣言受諾やむなしとなったとき、 陸軍を中心とした戦争継続派はいろいろ策謀を試みたが、中で突出していたのが大西の「2000万人特攻計画」。 なんと人口の4分の1を特攻にふりむけようというめっちゃくちゃな作戦を、彼は必死で要路に説いてまわり、 米内海相からはきついお叱りもうけている。 特攻などという道理を逸脱したことを行なった反動と考えると、彼もまた哀れな存在ではあるが、 それにしても彼は、この計画を実行すれば多少とも英霊たちを慰めることができると考えたのだろうか。
・ 兵庫県出身。海兵40期卒。
・ 霞ヶ浦航空隊教官、佐世保航空隊飛行隊長、航空本部教育長などを歴任。
・ さらに第11航空艦隊参謀長など航空畑をすすみ、海軍航空の強化に尽力。
・ 大戦末期、軍需省航空兵器総局総務局長から第1航空艦隊司令長官に転出。
・ レイテ沖海戦に際し、特攻を発案、実行に移す。「特攻の父」と呼ばれる。
・ その後、軍令部次長に就任するも終戦となり自決。
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1944/10/12   台湾沖航空戦 (大本営、大戦果を発表)
1944/10/24   レイテ沖海戦
1944/10/25   特攻開始 (関大尉ら敷島隊)
1945/08/06   アメリカ軍、広島に原爆投下
1945/08/08   ソ連、対日参戦 (08/09 満州侵攻開始)
1945/08/09   アメリカ軍、長崎に原爆投下
1945/08/10   御前会議、条件付きでポツダム宣言受諾を決定
1945/08/14   御前会議、ポツダム宣言受諾を決定
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「大西瀧治郎」は「大西滝治郎」とも表記されることがあります。
「大西瀧次郎」「大西滝次郎」は表記に誤りがあります。