尾崎 行雄
1858 − 1954
[ おざき・ゆきお ]
文相、法相、「憲政の神様」
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エピソード 1 隈板内閣の文相に就任、明治天皇に拝謁したとき、「尾崎はどのような教育方針を考えているのか」とご下問を受けた。 「教育勅語を実践すればよろしいかと考えております」と答えると、天皇は「ふむ、西園寺はもっと新しいことを申しておったぞ」と微笑した。 西園寺は尾崎の前任者、天皇の幼なじみでもある。 さぞやのびのびと理想を語ったことだろう。こんな人物と比較されてはさしもの「憲政の神様」もちょっと分が悪い。
・ 神奈川県出身。慶応義塾、工学寮を中退。「新潟新聞」主筆。
・ 官界に入るも大隈下野で退官。「郵便報知新聞」記者。立憲改進党結成に参加。
・ 日清戦争では、対外強硬論で政府を攻撃。
・ 文相に就任するも、「共和演説」で藩閥を非難、問題化して辞任。
・ 憲政本党を脱党して政友会結成に参画、総務委員。
・ 伊藤桂内閣@支持に反対、脱党。のち復党。東京市長を経て護憲運動@で活躍。
・ 桂内閣B打倒後、山本内閣@支持に反対して脱党、政友倶楽部結成
・ 大隈内閣Aの法相に就任。憲政会結成に参画。脱党、革新倶楽部の結成に参画。
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1912/07/29   明治天皇崩御
1912/12/19   憲政擁護連合大会@ (護憲運動@開始)
1913/02/09   西園寺(政友会総裁)に「内閣不信任案撤回」の詔勅
1913/02/10   護憲派の民衆、議会を包囲 (桂首相、総辞職を決意)
1913/02/11   桂内閣B総辞職 (大正政変)
1913/02/24   政友倶楽部結成 (尾崎行雄ら24名)
1914/04/16   大隈内閣A成立 (首相:大隈重信
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1914/08/23   対独参戦 (宣戦布告)
1915/01/18   対華21ヵ条要求 (外相:加藤高明
1916/10/05   大隈内閣A総辞職
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1922/11/08   革新倶楽部結成 (犬養毅尾崎行雄島田三郎ら)
1923/09/01   関東大震災
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/04/13   日ソ中立条約調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1946/11/03   日本国憲法公布
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。