朴烈 1902 − 1974
[ ぱく・れつ(よる) ]
朝鮮独立運動家、アナーキスト、在日本大韓民国居留民団(民団)団長@
エピソード 1調査中。
語録
国家とは人間の身体、生命、財産、自由を絶えず侵害し、蹂躙し、劫略し、脅威するところの組織的大強盗団である。
大規模の略奪株式会社である。法律とは国家という大強盗団の、国家という略奪会社の、専売を憎悪し、
それに反抗する者に対する脅迫である。
議会は国家という大強盗団の代表者会である。
国家および略奪会社の株式会社の代表者会である。
次に天皇とは国家という強盗団の、国家という略奪会社の偶像である。神壇である。
引用朴烈は本名を朴準植といい、朝鮮慶尚北道に生れた。朴烈は通称である。
問 被告ノ年齢ハ?
答 ソンナコトハドウデモヨカロウデハナイカ。
問 被告ノ戸籍謄本ニヨレバ、被告ハ明治三十五年二月三日生レトアルガ、ドウカ。
答 多分、ソウデアロウ。生レタ日ヲ知ッテイル人ガアルカ。
問 職業ハ雑誌発行人カ。
答 オレハ職業トイウモノヲ認メテオラヌ。強イテイエバ、ソレハ不逞業トイウノデアロウ。
問 住所ハ?
答 君ノイワユル住居ガ現在居ルトコロヲ意味スルナラバ、市ヶ谷刑務所デアル(第一回予審訊問調書)。
当時数えで二十五歳であった。
生家は貧乏していたが、両班といって上流階級の家柄だった。
彼は公立普通学校を卒業してのち、京城高等普通学校師範科に入学したが、三年で退学した。
そのころロシヤ革命の影響などあって、第一次世界大戦後は民族自決の風潮がおこり、
朴烈も朝鮮独立運動や大正八年の万歳事件などをみて、民族主義の血を沸かした。
しかし、朝鮮では弾圧がきびしいので、東京で運動をやろうと考えて日本にきた。
朴烈ははじめ民族主義者であったが、次第に無政府主義者となり、次に虚無主義へと考えが変っていった。
無政府主義に共鳴したのは、大杉栄、岩佐作太郎のもとに出入りしているうちに影響をうけたのである。
松本清張 「昭和史発掘(1)」
P.142この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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