セオドア・ルーズベルト 1858 − 1919
大統領(共和党)、副大統領、ニューヨーク州知事、海軍次官補 / アメリカ
エピソード 1アメリカ大統領も、ロシア皇帝のわからず屋ぶりにはキレた。
日露戦争の講和斡旋に乗り出していたルーズベルトは、ニコライ2世に講和を勧める二度目の親書の返書を受け取って、
こう口走ったという。「ロシアにはまったくサジを投げた。
講和会議が決裂したら、ラムスドルフ外相とウィッテは自殺して世界にその非を詫びなければならぬ」
その口調はかなり激しかったという。大統領だって人間だから、キレることはある。
引用眼鏡、口ひげ、大きな歯という特徴で誰からも愛され、
漫画の登場人物としても人気があったローズヴェルトは、そのエネルギー、熱血、活力、正義感などで知名度抜群であった。
しかし、後世の歴史家の評価は「偉大に近い大統領」(near great)に留まっている。
本人の自己評価によれば、第一にパナマ運河建設、第二に自然保護活動、第三に日露戦争調停を業績として挙げている。
名門出身、家庭教師による教育、ハーヴァード大学優等生、スポーツ万能、狩猟を好むこと、幅広い交友等々、
ヨーロッパ好みの東海岸上流アメリカ人の典型であった。
新聞、雑誌などを効果的に利用し、最初の「メディア大統領」と言われている。
精力的に外交、内政、及び世界政治の場で果たした役割は非常に大きく、多くの自然を開発から救って遺した功績も高い。
また、ローズヴェルトは、自動車(一九〇二年)、潜水艦(〇五年)、飛行機(一〇年/引退後)に乗った最初の大統領であった。
猿谷要 「アメリカ大統領物語」
P.107この本を入手
引用合衆国官吏制度改革委員(一八八九〜九五)、ニューヨーク市警察長官(一八九五〜九七)、海軍次官(一八九七〜九八)を歴任、
キューバ問題では主戦論を展開し、スペインとの米西戦争(一八九八)が勃発すると、
いち早く荒馬騎兵隊と称する義勇兵部隊を率いてキューバで戦い、「テディー」は国民的英雄となった。
同年ニューヨーク州知事選に当選したが、共和党の保守派からその人気と革新的な政治姿勢が敬遠されて、
一九〇〇年に副大統領候補に祭り上げられた。
一九〇一年九月十四日、マッキンレー大統領の暗殺によって四十二歳の若さで大統領に就任、
一九〇四年に再選された。
闘争的な政治姿勢で、上からの秩序ある社会改革の実現を図った。
猿谷要 「アメリカ史重要人物101」
P.122この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「ルーズベルト」は「ローズベルト」「ルーズヴェルト」「ローズヴェルト」とも表記されることがあります。 「セオドア」は「テオドア」「シオドア」「セオドール」とも表記されることがあります。 |