ジノヴィ・ペトロビッチ・ロジェストウェンスキー 1848 − 1909
バルチック艦隊司令長官、侍従武官長、海軍中将 / ロシア
エピソード 1調査中。
引用ロジェスウェンスキーの容貌は、神が「非凡さ」ということをテーマに彫りあげるとすればこの顔になってしまうだろうとおもわれるほどに
すぐれた造形性をもっていた。
聡明でよく澄みよく輝いた両眼、端正な鼻と品がよくて意志的な唇、といったぐあいに道具だてを個々にとりあげてもすぐれていたが、
それが顔として総合されてもなお、一個の力を感じさせる容貌であった。
かれはロシアの将官にしてはめずらしく貴族の出ではなかったが、
その容貌は貴族中の貴族であることにふさわしいものであった。
かれは抜群の成績で海軍兵学校を出、尉官時代はその有能さで上官から畏敬された。
佐官時代はおもに陸上勤務であったが、砲術の研究者として優秀であった。
ただし独創的な業績やひらめきはすこしももっていなかった。
さらには海軍省にいたときは事務家としても、物事の処理者としても有能であり、部下に対してもきびしく、
上官に対してもいうべきことはいった。
もしかれの生涯において戦争というものがなかったならば、この不戦の提督はロシア海軍の逸材として国家の内外で大切にされ、
幸福な余生を、どこか暖地の別荘で送ったことであろう。
が、かれはロシアの多くの提督のなかから選ばれ、とほうもない冒険と計算力を必要とする戦争にひきだされてしまった。
なぜかれがえらばれたかについては、かれが侍従武官としてたえず皇帝にしたがい、
たえず皇帝の耳もとでロシア海軍のことについて上申し、意見をのべつづけてきたためによる。
その意見のなかには、不幸なことにバルチック艦隊の大回航という、
英国海軍の提督でも尻ごみするかもしれないところの放胆きわまりない大航海作戦も入っていた。
が、かれが意見をのべていたのはあくまでも侍従武官として、海軍省からは局外の立場からそれをやっていたにすぎず、
まさか自分がその司令長官にさせられるとはおもってもいなかったにちがいない。
が、皇帝にすれば、大ロシア帝国の軍事的敗勢を一気に挽回するために、
雄大な作戦と英雄的な提督を必要とした。
ロジェストウェンスキーは多分に意見の英雄だったかもしれないが、
皇帝にはそういう識別はつかなかった。
もしロジェストウェンスキーが独裁皇帝の侍従武官職でなかったならば、
かれにはこのような航海そのものが至難の作戦であるという悲運におち入らずにすんだであろう。
というより、かれの容貌が、かれの本質とさほどかかわりなしに一個の異彩を帯びているということがなければ、
かれの運命もちがったものになっていたかもしれない。
かれにはひとつの信仰があった。
かれの部下の全艦長がすくいがたい馬鹿者だと思いこんでいることだった。
かれは自分の参謀たちの能力をさえ信じていなかった。
自分以外はすべて阿呆であるというこのふしぎな信仰は、他人がかれの容貌を錯覚したように、
かれ自身もそれを錯覚することからうまれたものであるとしか思えなかった。
司馬遼太郎 「坂の上の雲(6)」
P.315この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「ロジェストウェンスキー」は「ロジェストヴェンスキー」「ロジェストベンスキー」とも表記されることがあります。 |