渋沢 栄一
1840 − 1931
[ しぶさわ・えいいち ]
実業家、第一銀行頭取、幕臣
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エピソード 1調査中。
・ 埼玉県出身。一橋家に仕え、慶喜が将軍を継ぐとともに幕臣となる。
・ 幕府の遣欧使節の一員として渡欧、西欧の近代的産業設備や経済制度を見聞。
・ 新政府の招きで大蔵省官吏に登用され、退官後、第一国立銀行を創立、頭取に就任した。
・ 以後財界のリーダーとして目覚ましく活躍。
・ 渋沢同族株式会社を設立し、渋沢財閥を形成した。
1867/11/10   大政奉還 (慶応03年10月15日)
1894/08/01   清国に宣戦布告 (日清戦争勃発)
1902/01/30   日英同盟@調印
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1909/06/06   渋沢栄一、財界引退宣言 (61の会社役員を辞任)
1912/07/29   明治天皇崩御
1919/12/23   協調会設立 (労資協調のため/渋沢栄一ら)
1923/09/01   関東大震災
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/11/11   渋沢栄一
引用渋沢は、利根川ぞいの血洗島という村の富農の子で、 幕末、百姓の出ながら攘夷志士のむれに投じて当時流行の暴発をしようとしたこともある。
のち運命的ないきさつで一橋家に召かかえられ、徳川慶喜に信頼された。 慶応年間の京にあっては渋沢は一橋家の周旋役として他藩との折衝にあたり、 慶喜が将軍になると、軽格ながら幕臣になったが、たまたまパリで万国博覧会が企画され、日本も招待されたので、 渋沢はその幕府代表の随員として渡仏した。
その外遊中に幕府が瓦解し、帰国して徳川家の整理にあたったが、のち新政府の大蔵省に出仕し、 ついで官をやめて野にもどり、日本に欧米風の財界をつくるために奔走し、 市中銀行を最初におこしただけでなく、ほとんどあらゆる産業をおこしたといっていいほどの多岐にわたる活躍をした。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「渋沢栄一」は「澁沢栄一」「澁澤栄一」「渋澤栄一」とも表記されることがあります。