鈴木 貫太郎
1868 − 1948
[ すずき・かんたろう ]
首相、軍令部長、連合艦隊司令長官、海軍次官、枢密院議長、侍従長、海軍大将
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エピソード 1いつの世にも大臣病の重症患者は多いが、 首相就任を頑なに固辞する人間も小数ながらいる。鈴木はそのどちらでもなく、頑なに固辞しながら、ついには引き受けた。 重臣会議の説得にも首を縦にふらない鈴木を、昭和天皇がじきじきに説得したからだ。 「政治に経験がなくてもよい。耳が聞こえなくてもよいからぜひ」 「もうほかに人はいない。頼むから、どうか、気持をまげて」とまで言われては、断わりきれるものではない。 こういう人が往々にしていい仕事をするものだが、鈴木も、あの困難な状況の中で、軍国日本をハードランディングさせた。 引き際も見事。玉音放送8月15日、辞表を提出している
・ 大阪府出身。海兵卒、海大卒。
・ 海軍次官、連合艦隊司令長官、軍令部長などを歴任後、侍従長。
・ 二・二六事件では反乱軍の襲撃を受けるも、九死に一生を得る。
・ 枢密院議長を経て、大戦末期、首相に就任。ポツダム宣言受諾を推進し、総辞職
・ 戦後、ふたたび枢密院議長を務め、新憲法の審議などにあたる。
1894/08/01   清国に宣戦布告 (日清戦争勃発)
1895/04/14   下関条約調印 (日清戦争終結)
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/05/27   日本海海戦 (〜05/28/連合艦隊司令長官:東郷平八郎
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1912/07/29   明治天皇崩御
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1944/08/10   鈴木貫太郎、枢密院議長就任
1945/04/07   鈴木(貫)内閣成立 (首相:鈴木貫太郎
1945/05/07   ドイツ、無条件降伏 (ベルリン陥落)
1945/06/03   広田・マリク(駐日ソ連大使)会談
1945/06/08   御前会議、本土決戦決定 (「今後採るべき戦争指導の基本要綱」)
1945/07/10   最高戦争指導会議、近衛特使ソ連派遣を決定
1945/07/26   連合国、ポツダム宣言発表
1945/07/28   鈴木首相記者会見「ポツダム宣言黙殺」
1945/08/06   アメリカ軍、広島に原爆投下
1945/08/08   ソ連、対日参戦 (08/09 満州侵攻開始)
1945/08/09   アメリカ軍、長崎に原爆投下
1945/08/10   御前会議、条件付きでポツダム宣言受諾を決定
1945/08/14   御前会議、ポツダム宣言受諾を決定
1945/08/14   宮城事件 (戦争継続派によるクーデター未遂)
1945/08/15   阿南陸相自決
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/08/15   鈴木(貫)内閣総辞職
1948/04/17   鈴木貫太郎
引用鈴木は、日清戦争では水雷艦長、日露戦争では駆逐艦司令として、おどろくべき大戦果をあげ、 “鬼貫太郎”とうたわれた勇士だが、曲がったことが大きらいの、外柔内剛の人物であった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。