西園寺 公望
1849 − 1940
[ さいおんじ・きんもち ]
元老、首相(@A)、政友会総裁、枢密院議長、パリ講和会議首席全権、明治法律学校講師
一覧 (サ)【テーマ・内閣成立史】本を入手豊田穣著
エピソード 1 西園寺の長い人生最後の言葉は「カミソリ」。さっそく綾さんが老公愛用のカミソリで髭をそってあげた。 さすがは本場パリ仕込みのしゃれ者といったところか。亡くなるのはこの2時間ほどあとのことである。 政治的なものはこの前日、原田熊雄男爵(西園寺秘書)が聞き取ったものが最後。 「いったい、どこへ、くにをもってゆくのや。こちは・・・・・・」 混濁する意識の中でも、西園寺は最期まで最後の元老であった。
・ 京都府出身。徳大寺公純(公家)の次男に生まれる。
・ 孝明天皇に近侍し、王政復古の際参与。山陰道鎮撫総督として戊辰戦争に従軍。
・ ソルボンヌ大学留学後、「東洋自由新聞」を創刊、社長に就任。
・ 自由民権運動の一翼を担うも、勅命により退職。
・ 皇室制度の調査のため渡欧、帰国後侯爵。ドイツ公使兼ベルギー公使など歴任。
・ 文相、外相、枢密院議長など歴任後、伊藤内閣Cの首相臨時代理。
・ 日露戦争直前、伊藤の枢密院議長就任により、政友会総裁となる。
・ ポーツマス条約には、講和反対の嵐の中、決然と賛意を表す。
・ 2度首相に就任するが、いずれも山県派の陰謀に遭い、総辞職。
・ 以後元老。山本内閣@総辞職とともに、政友会総裁の職を原敬に委ねる。
・ パリ講和会議で、首席全権としてベルサイユ条約に調印
・ 「最後の元老」としてキングメーカーの役割を果たし、擬似二大政党制を現出。
1900/09/15   政友会結成 (総裁:伊藤博文
1900/10/19   伊藤内閣C成立 (首相:伊藤博文
1901/05/02   伊藤首相、閣内不統一で辞表提出 (首相代理:西園寺公望
1901/05/03   伊藤内閣C総辞職
1903/07/14   西園寺公望、政友会総裁A就任
1902/01/30   日英同盟@調印
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/08/14   桂・原会談
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1906/01/07   西園寺内閣@成立 (首相:西園寺公望
1906/03/03   加藤外相辞任 (鉄道国有化に反対して)
1906/03/31   鉄道国有法公布
1906/11/26   南満州鉄道株式会社(満鉄)設立 (総裁:後藤新平
1907/07/24   日韓協約B調印
1907/07/30   日露協約@調印
1908/06/27   西園寺首相、原・松田に辞意を表明
1908/07/04   西園寺内閣@総辞職
1911/08/30   西園寺内閣A成立 (首相:西園寺公望
1912/07/29   明治天皇崩御
1912/11/10   西園寺・山県会談 (陸軍2個師団増設問題)
1912/11/22   上原陸相、陸軍2個師団増設案を閣議に提出
1912/12/02   上原陸相、帷幄上奏で単独辞任
1912/12/05   西園寺内閣A総辞職
1912/12/19   憲政擁護連合大会@ (護憲運動@開始)
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1921/11/12   西園寺公望、元老の意向として後継首相に高橋是清を推薦
1923/09/01   関東大震災
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1934/07/04   西園寺公望、首相経験者・内大臣・枢密院議長と後継首相について協議
1934/12/05   西園寺公望暗殺未遂で少年血盟団員を逮捕
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1940/11/24   西園寺公望
エピソード 西園寺が初めての外遊に出発したのは1870年12月。 故郷への手紙では、横浜からサンフランシスコへ、ニューヨークへ、さらにロンドンへとひたすら東へ進んだ旅程を記したあと、 イギリスが日本の西にある国であることを注釈し、「この度実地に経歴して、世界の円形なるは疑うべからざるを知る」と いかにも満足げに書いている。「地球球体説」には得心した彼だが、カルチャーショックもあった。 ロンドンに着く直前のことだ。 甲板を走りまわる4、5歳ほどの金髪の少年にフランス語を実戦試用してみたところ、通じたので気をよくし、 この子とすっかり仲よしになった。 さあ上陸というとき、「坊や、お別れだね。おかげで楽しかったよ」と抱きあげると金髪くん、西園寺の唇にキス。 それを危うくかわして「何をするんだ」と金髪くんをデッキに下ろす。金髪くんは泣き出してしまった。 この一件については「異国の悪風まことに厭うべし」と書いている。
エピソード 西園寺は徳大寺公純の次男。幼くして西園寺家に養子に入る。 養父師季はその4ヵ月後に亡くなり、彼が西園寺家を継いだ。 彼の養育係はなかなかの女傑で、西園寺の腕白を支持、また「稽古」と称して幼い当主に夜ごと酒を飲ませた。 「六歳の子供が上座に座って女の酌で酒を呑む、さぞ憎体な子であったことやろう。 このおかげで青年時代にはいっぱし呑めるようになりました」とは西園寺晩年の回想。 こうして彼はたくましく育った。
語録 今日のようなやり方では、結局陛下の御聡明を蔽うようになって、実際において非常な叡智があり、 聡明である方だ、ということは嘘になる。 そのへんは近衛もよほど注意してもらいたい。
語録 松岡や陸軍に引っ張られて近衛は行くところまで行ってしまうという感じであるが、 最後には皆から見放されて、のたれ死にをしやあせんかとこちは心配しているのどす。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。