嶋田 繁太郎
1883 − 1976
[ しまだ・しげたろう ]
海相、軍令部総長、海軍大将、A級戦犯
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エピソード 1無類の神社参拝好き。海相在職中は毎朝かかさず明治神宮に参拝。 暇をみてはどこかしかにお参りしていたようだ。そこまで信心深ければ、心優しい人だろうと考えると、これが大間違い。 艦が沈むときに艦と運命をともにしなかった艦長には、即日の懲罰人事で報い、これが原因で、 同期の山本五十六連合艦隊司令長官とやりあってもいる。ま、さすがは「東條の副官」と呼ばれた男だということだろう。
・ 東京都出身。旧幕臣の長男。海兵卒。
・ 日本海海戦では、巡洋艦「和泉」に乗り組み、偵察活動に従事。
・ イタリア駐在後、主に軍令部に在籍、伏見宮軍令部総長の信任を得る。
・ 支那方面艦隊司令長官など歴任後、東條内閣の海相に就任。
・ 就任直後の不戦論から一転、対米開戦を容認。
・ 戦後、A級戦犯として「終身禁固」の判決。 仮釈放後、赦免。
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/05/27   日本海海戦 (〜05/28/連合艦隊司令長官:東郷平八郎
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1930/04/25   統帥権干犯問題 (犬養毅鳩山一郎が追及)
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/10/18   東條内閣成立 (首相:東條英機
1941/12/01   御前会議、対米開戦決定
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1942/02/15   シンガポール攻略
1942/06/05   ミッドウェー海戦 (〜06/07)
1943/02/01   ガダルカナル島撤退開始 (02/07 撤退完了)
1943/04/20   東條内閣改造@
1943/10/21   出陣学徒壮行大会 (神宮外苑競技場)
1944/02/19   東條内閣改造A
1944/02/21   東條首相兼陸相、参謀総長を兼任 (嶋田海相、軍令部総長兼任)
1944/06/16   岡田元首相(海軍大将)、嶋田海相に辞任を勧告
1944/07/07   サイパン陥落 (守備隊玉砕)
1944/07/14   東條首相、参謀総長辞任
1944/07/17   嶋田海相解任
1944/07/18   東條内閣総辞職
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/09/11   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令@ (東條東郷ら39人)
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
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「嶋田繁太郎」は「島田繁太郎」とも表記されることがあります。