昭和 天皇
1901 − 1989
[ しょうわ・てんのう ]
天皇、皇太子、摂政
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エピソード 1温和な平和主義者は、でも、ぶち切れるとすごい。 1度は満州某重大事件の責任者処分に関して、話がちがう、辞表を出せ、とまで。 この件については戦後、若気の至り、と反省。2度目は二・二六事件。 とりなす側近たちの言葉をすべて論駁し、「朕自ら近衛師団を率い鎮定にあたらん」とまで言ってる。 ただ、たとえ話には弱く、木戸永野にははめられた感がある。
・ 大正天皇の第1皇子。母は皇后九条節子(さだこ)、幼名は迪宮(みちのみや)。
・ 立太子ののち、大正天皇の病状悪化の中、訪欧、帰国後、摂政に就任
・ 久邇宮良子(くにのみやながこ)女王と結婚。
・ 大正天皇の死去により皇位を継承して昭和と改元。
・ 史上最長の在位を記録。
1901/04/29   裕仁親王誕生
1912/07/29   明治天皇崩御
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1919/06/10   皇太子婚約
1920/11/11   宮中某重大事件
1921/03/03   皇太子、ヨーロッパ歴訪 (09/03 帰国)
1921/11/25   皇太子摂政就任
1923/09/01   関東大震災
1923/12/27   虎の門事件 (摂政宮襲撃/犯人:難波大助)
1926/12/25   大正天皇崩御 (昭和天皇即位)
1929/07/01   満州某重大事件責任者処分発表
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1933/12/23   皇太子明仁親王誕生
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/04/13   日ソ中立条約調印
1941/09/06   御前会議、対米開戦を決意 (「帝国国策遂行要領」決定)
1941/12/01   御前会議、対米開戦決定
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1941/12/08   宣戦の大詔 (AM11:45)
1945/02/14   近衛文麿、天皇に上奏文を奉呈
1945/06/18   天皇、和平交渉推進を決定
1945/07/26   連合国、ポツダム宣言発表
1945/08/14   天皇、玉音盤録音
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/09/02   降伏文書調印 (全権:重光葵梅津美治郎/第二次世界大戦終結)
1945/09/27   天皇、マッカーサーを訪問 (会談@)
1945/09/29   新聞各紙、天皇のマッカーサー訪問写真を掲載
1946/01/01   天皇、人間宣言 (神格化否定の詔書)
1946/02/19   天皇、地方巡幸開始
1946/11/03   日本国憲法公布
1949/09/25   天皇最初の著書「相模湾産後鰓類図譜」刊行 (岩波書店)
語録 秩父宮は私にはない帝王の性質をいろいろそなえておる。 あれは生まれながらの指導者だ。 自分の感じたことをためらわずに表わす。 帝王の仕事はあれにはやさしいことだ。 自分が大臣や国民に何を求めているか、あれは疑問に思ったことがない。
私は、天皇という政治的立場からの視点にたつかぎり、 昭和天皇はまれにみるすぐれた才略と手腕をもった政治家であったと考えている。 天武天皇や明治天皇のような創業者型の天皇は別として、 歴代天皇のなかに昭和天皇に匹敵する政治的力量を発揮した天皇をさがすとすれば、 源頼朝が「大天狗」と呼んで舌をまいた後白河上皇あるのみ、と考える。 それだけに、昭和の戦争の時代における天皇の存在は大きく重いものがある。
大江志乃夫 (歴史学者
引用明治天皇は、裕仁親王の学習院初等科入学(一九〇八年)にさきだち 現役陸軍大将乃木希典を学習院長に任命し、裕仁親王の教育を託した。 乃木は、裕仁親王が皇太子になった直後の一九一二年(大正元)九月、 明治天皇の大喪の日に自決した。裕仁親王が初等科五年の年であった。 後任「学習院長の人選に就いては小笠原子爵、徳川公爵等其候補者に擬せられ居たるが、 今回愈々陸軍大将大迫尚敏氏を其後任たらしむることに決定」した(『東京朝日新聞』十一月八日)。 皇太子は一九一四年(大正三)春に初等科を卒業した。
学習院初等科卒業とともに、その年の五月、皇太子に帝王学をさずけることを目的とした東宮御学問所が設置され、 元帥海軍大将東郷平八郎が御学問所総裁に任命された。 皇太子は二十歳をむかえる一九二一年(大正一〇)二月に東宮御学問所を修了、 御学問所は閉所された。 御学問所修了のすぐあと、皇太子は三月にヨーロッパ訪問の旅にでた
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「昭和天皇」は「裕仁」「ヒロヒト」とも表記されることがあります。