アナトール・ミハイロビッチ・ステッセル
1921 − 1915
旅順要塞司令官、東部シベリア第3歩兵旅団長、陸軍中将 / ロシア
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1900/06/21   清国、日本など8ヵ国に宣戦布告 (義和団事件)
1900/08/14   連合軍、北京総攻撃開始
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1904/08/19   旅順総攻撃@開始 (第三軍司令官:乃木希典/〜08/24)
1904/10/26   旅順総攻撃A開始 (〜10/31)
1904/11/26   旅順総攻撃B開始
1904/11/30   第三軍、二〇三高地を一時占拠
1904/12/05   第三軍、二〇三高地占領
1905/01/02   旅順陥落
1905/01/05   水師営の会見
引用旅順の下級将校をふくめ兵士たちの大半が、自分たちの運命の握り手であるステッセルの能力について、
「あの将軍では、戦争はうまくゆかない」
ということを感じていた。 しかもステッセルの官僚臭を鋭敏に嗅ぎとり、ステッセルの関心が祖国よりも、彼一個の栄達にあるということを見ぬいており、 そういう見方がほとんど常識のようになっていた。
ステッセルは、たしかに有能とは言いがたかった。
無能な指揮官が、その無能を隠蔽するために、みずから風紀係になったように軍規風紀のことばかりをやかましくいう例は 軍隊社会にふんだんに見られるが、ステッセルもそうであった。 かれはまるで儀杖兵の指揮官のように行儀をやかましく言い、砲台にチリ一つ落ちていても兵士をどなりつけ、 なによりも軍隊における荘重美を好んだ。 このあたり、バルチック艦隊のロジェストウェンスキーに酷似しているであろう。
が、ロジェストウェンスキーは、その点にあまりやかましいために孤独であった。 しかも孤独をおそれぬ強さがあった。 ロジェストウェンスキーは幕僚のたれをも愛さなかった。 側近を愛さずとも平気でいられる神経をもっていた。
それにくらべてステッセルは、より女性的であったといっていい。 戦前から旅順の社交界の中心人物であったかれは、社交の友を欲し、幕僚のうちでも自分におべっかする者を偏愛し、 その献言をつねに採用した。 このためステッセルのまわりはそういうふんいきが充満し、愚者のサロンというほどでないにしても、 智者や勇者の意見が素直に通るような空気ではなかった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「ステッセル」は「ステッセリ」とも表記されることがあります。