西郷 従道 1843 − 1902
[ さいごう・つぐみち ]
元老、内相、海相、陸軍卿、陸軍中将、元帥海軍大将、西郷隆盛の弟
エピソード 1
伊藤内閣Cは、伊藤首相と、倒閣をもくろむ元老山県有朋に操られた貴族院の死闘の7ヵ月半だった。
ついにキレた伊藤が京都の山県に直談判に及ぼうとしたそのとき、西郷海相はこう言って引き止めた。
「昨今、おはんたちの争いを見ていると二十年昔の大久保どんと兄貴のようになりはせぬかと心配でごわす。
今、おはんが京へ行けば、正面衝突して仲違いはとり返しのつかぬごつなりもす。
ここはおいが行って、山県どんと話をして来もそう」 彼にして言える言葉だ。キャッ、信吾どん、かっこイイ。
引用従道は、西郷隆盛の弟である。
幕末にあっては西郷慎吾と言い、隆盛のそばで倒幕活動に従ったが、物事によく気がつくというほか、べつにめだたなかった。
が、維新後に本領をあらわした。
明治のジャーナリスト池辺三山は明治の三大政治家のひとりにかぞえているが、
人物があまり大きすぎたのと、みずからは一見阿呆のようにかまえて自分の功績を晦ますといったいわば老荘的なふんいきがあったため、
十分な評価が、同時代にも後世にもあたえられていない。
人物が大きいというのは、いかにも東洋的な表現だが、明治もおわったあるとき、
ある外務大臣の私的な宴席で、明治の人物論が出た。
「人間が大きいという点では、大山巌が最大だろう」
と誰かがいうと、いやおなじ薩摩人ながら西郷従道のほうが、大山の五倍も大きかった、と別のひとが言ったところ、
一座のどこからも異論がでなかったという。
もっともその席で、西郷隆盛を知っているひとがいて、
「その従道でも、兄の隆盛にくらべると月の前の星だった」
といったから、一座のひとびとは西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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