朱徳 1886 − 1976
[ しゅ・とく ]
党副主席、八路軍総司令 / 中国
エピソード 1調査中。
引用朱は、三つの革命で戦った軍人だった。
一八八六年に生まれ、一九一一年の専制王朝打倒の革命では、すでに青年将校として戦った。
一九二四年から二七年の大革命中は、国民革命軍の将軍だった。
中国紅軍を創建し、その後一〇年の内戦の間、その総司令官だった。
彼は引き続き一九三七年から四五年の抗日戦争期間、中国共産党指導下の第一八集団軍の総司令官だった。
ついで一九四九年の勝利に至る解放戦争においても、中国人民解放軍の総司令官だった。
最後には、彼は新中国の防衛戦力の最高指導者の立場にあった。
また中華人民共和国副主席、全国人民代表大会常務委員会委員長を歴任した。
無数の戦闘、大会戦、戦争において、軍略たくみに、剛毅果断で勝利を収めた戦士、朱徳は、
同時にみなから愛された、素朴な、温かい、親しみやすい人柄で、履き慣れた古い靴のように人びとにくつろぎを与えてくれた。
「文化大革命」の時には、公然と非難しあい、傷つけあう苦い潮流に身をおくのを拒んだために、
かえって「封建軍閥」などと罵倒され、苦痛の晩年を過ごすことになった。
イスラエル・エプシュタイン 「宋慶齢(下)」
P.344
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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