朱徳
1886 − 1976
[ しゅ・とく ]
党副主席、八路軍総司令 / 中国
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エピソード 1調査中。
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1911/10/10   辛亥革命勃発 (武昌蜂起)
1921/07/01   中国共産党創立大会 (上海)
1924/01/20   国共合作@成立
1925/03/12   孫文病死 (北京)
1925/05/30   五・三〇事件 (上海)
1927/04/12   蒋介石、上海クーデター (国共分離)
1927/12/11   中国共産党、広州で武装蜂起、広州コミューン樹立 (12/13 鎮圧)
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/11/07   中華ソビエト共和国臨時政府(瑞金政府)成立 (主席:毛沢東
1932/04/26   中国・瑞金(中華ソビエト)政府、対日宣戦布告
1934/10/15   紅軍、瑞金を脱出 (長征開始)
1935/01/13   遵義会議 (毛沢東、中国共産党内の指導権確立)
1935/08/01   八・一宣言
1936/12/12   西安事件 (張学良・楊虎城、蒋介石を監禁)
1937/02/10   中国共産党、国民党に国共合作を提案
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1937/09/23   国共合作A成立
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/08/03   毛・蒋会談
1945/08/08   ソ連、対日参戦 (08/09 満州侵攻開始)
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1946/07/12   国共内戦、全面戦争化
1946/10/09   マーシャル・周恩来会談
1947/01/29   アメリカ国務省、国共調停の打切りなどを声明
1949/04/20   国共和平会談決裂
1949/04/21   毛沢東・朱徳、全国進撃を命令 (人民解放軍、揚子江渡河)
1949/10/01   中華人民共和国成立 (主席:毛沢東
1950/02/14   中ソ友好同盟相互援助条約調印 (モスクワ)
1950/06/25   朝鮮戦争勃発
1950/10/25   中国人民義勇軍、鴨緑江を越えて出撃
引用朱は、三つの革命で戦った軍人だった。 一八八六年に生まれ、一九一一年の専制王朝打倒の革命では、すでに青年将校として戦った。 一九二四年から二七年の大革命中は、国民革命軍の将軍だった。 中国紅軍を創建し、その後一〇年の内戦の間、その総司令官だった。 彼は引き続き一九三七年から四五年の抗日戦争期間、中国共産党指導下の第一八集団軍の総司令官だった。 ついで一九四九年の勝利に至る解放戦争においても、中国人民解放軍の総司令官だった。 最後には、彼は新中国の防衛戦力の最高指導者の立場にあった。 また中華人民共和国副主席、全国人民代表大会常務委員会委員長を歴任した。
無数の戦闘、大会戦、戦争において、軍略たくみに、剛毅果断で勝利を収めた戦士、朱徳は、 同時にみなから愛された、素朴な、温かい、親しみやすい人柄で、履き慣れた古い靴のように人びとにくつろぎを与えてくれた。 「文化大革命」の時には、公然と非難しあい、傷つけあう苦い潮流に身をおくのを拒んだために、 かえって「封建軍閥」などと罵倒され、苦痛の晩年を過ごすことになった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。